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ビジネスの目的に立ち返って実験を設計する
マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボのNANDAプロジェクトが8月に発表した新たなレポートによれば、生成AIへの投資の95%は利益を生んでいないことが判明したという。
このニュースの見出しは、AIが大規模な成果を生むことへの懐疑の波を煽る新たな種の一つにすぎない。オープンAIからリリースされたGPT-5が期待外れだったことも、AIの進歩が鈍化しているとの見方を後押しする材料となった。ガートナーは、テクノロジーの採用状況を示す同社の5段階のハイプサイクルで、生成AIが第3段階の「幻滅期」に入りつつあることを示唆している。
もちろんMITのレポートは実際には、見出しに取り上げられた調査結果が与える印象ほど単純なものではない。個々人は生産性を高める生成AIツールをうまく取り入れているものの、その成果は損益計算書のレベルで測定できるものではなく、企業は全社規模での導入に苦労しているとレポートは論じている。加えて、最大のROI(投資利益率)を生む可能性が高いのはバックエンドの変革であるにもかかわらず、AIの実験への支出の大半は営業・マーケティング施策に配分されていることを執筆者らは突き止めている。
それでも、こうした見出しはリーダーを不安にさせる。実験に投じられた数百億ドルのうち95%が価値を生んでいないのであれば、AIの実験に費やす努力は完全に無駄なのだろうか。一方で企業は実験をしなければ、AIツールの活用法をいかにして学べるというのか。このような調査結果を、リーダーはどう解釈すればよいのだろうか。
AIを研究し、AIトランスフォーメーションとテクノロジーについて教えている筆者らの考えるところ、多くのリーダーは10年前のデジタル・トランスフォーメーション(DX)で犯した過ちを繰り返している。実験の推進はよいことだが、実験を野放図にさせるという落とし穴に陥ることで、逆効果になるのだ。
背景として、以前のDXの波において多くのリーダーは、DXの本質と今後進むべき道に迷いを感じた時、イノベーションと実験を推し進めた。とにかく数に頼る「1万の花を咲かせよう」という形のアプローチを推進し、いくつかの実験からユニコーン級の利益が生まれることを期待した。
ところが、焦点の欠如は過ちであったことが判明した。実際の商機との明確なつながり──つまりユーザーに有意義な価値をもたらす方法を欠いていたため、結果的にチームは焦点が定まらずリソースも足りないまま、拡大可能な成果をほとんど生まないという泥沼に陥ったのである。
期待外れの成果を前に多くのリーダーは、デジタルの実験は失敗したと当然のように結論を下し、実験を打ち切った。代わりに型通りのやり方に戻るか、または少数のより安全な投資に目を向け直した。おそらくは古くなったITシステムの交換や、デジタル資産管理システムのような、短期間で成果が得られる取り組みだろう。
何が間違っていたのか。実験はよいことだが、真の商機──既存および新規顧客への貢献に向けた中核的要素の変革など──に結びついていなければ、実験は必然的に願望や期待に応えられないのだ。これは明白なことのように思える。しかし、AIを革新的で破壊的なものと捉えることで、「顧客のために問題を解決する」という、ビジネスの最も根本的な目的とのつながりをしばしば見失ってしまうのである。





