なぜ創業200年の蒸留酒メーカーでAI導入が進んだのか
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サマリー:創業200年の伝統を誇るフランスの蒸留酒メーカーのペルノ・リカールは、AI導入における従業員の抵抗を克服し、大きな成果を収めた。成功のカギは、技術そのものではなく「人間中心」のアプローチにある。同社はAIによる管理範囲の縮小に合わせて評価制度を見直し、教育体制や社内アンバサダーを戦略的に活用することで、現場の自発的な賛同を引き出した。本稿では、伝統企業がDXを成功させるための4つの原則と、組織変革の具体的なプロセスを紹介する。

伝統企業で従業員のAIツール活用が進んだ背景

 本稿はハーバード・ビジネス・スクールのワーキング・ナレッジによって作成されており、准教授のイヤボール・ボジノフ、助教授のエドワード・マクファーランド三世の知見を紹介している。

 多くの企業では、従業員の抵抗に直面すると、デジタル・トランスフォーメーション(DX)が失敗に終わる。ところが、フランスの酒造大手ペルノ・リカール・グループは、新しいAIツールを活用するよう従業員に慎重に促した結果、自然と賛同が集まった。

 この成功に驚いたのが、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の准教授であるイヤボール・ボジノフと助教授のエドワード・マクファーランド三世だ。ペルノ・リカールは200年の歴史を持つ蒸留酒メーカーであり、従業員は伝統的な方法で販売やマーケティングを行ってきた。そのため、AIの導入は大きな反発を招くと予想していたのだ。

 AIツールの導入に従業員の賛同を得ることは、「不可能ではないとしても、非常に難しいと思っていた」とマクファーランドは言う。「ところが、大きな成功を収めたと聞いて、嬉しい驚きを覚えた。私がこれまで見てきたテック企業と比較しても非常によい成果を残している」

 ワイン・蒸留酒部門で世界第2位を誇るペルノ・リカールによるDXの取り組みは、現代の組織が直面する共通の課題、すなわち先進技術を活用してオペレーションの効率化と収益性の向上を図りたい時、どうすれば従業員を巻き込めるかを考える手掛かりを示してくれる。

「その価値は、実際に使われた時に初めて生まれる」と、ボジノフは言う。「最高のツールでも、誰も使わなければ何にもならない」

 スムーズな導入のカギは、従業員の抵抗意識に積極的に対処するとともに、新しいデジタルツールを試すことに及び腰な従業員に教育とサポートを与えることだと、マクファーランドとボジノフは言う。2人は、BCGヘンダーソン研究所(BHI)の元グローバルディレクターであるフランソワ・カンデロン、およびHBS欧州リサーチセンターの研究員であるニコリーナ・イエンソンとエマー・モロニーと協力して、2024年5月にケース"Pernod Ricard: Uncorking Digital Transformation"(ペルノ・リカール:DXのコルクを抜く)を執筆した。

当初は従業員も懐疑的

 ペルノ・リカールは、世界70カ国以上に90の生産施設を有するグローバル企業であり、各国の市場に関する専門知識と、伝統的な人間関係重視の販売・マーケティング方法によって成功を収めてきた。従業員は直観に従って、収益性を高めるための方針を決めることも多かった。

 だが、経営陣は2020年になると、アナログな方法では、複雑化する商品ポートフォリオを管理できないと感じるようになった。また、DXを実行すれば、営業部門やマーケティング部門がデータに基づいて、より支出効率を向上できるようになると考えた。

 そこでペルノ・リカールは野心的なソリューションを生み出した。AIを駆使した4つのデジタルプログラムを開発したのだ。このうち主力は次の2つだった。

・Dスター(D-STAR):機械学習を用いて営業担当者の店舗訪問や商品推薦を最適化するシステム。

・マトリックス(Matrix):AIを使って商品ラインと流通チャネルにマーケティング予算を配分する。

 本当の試練は、これらのツールを従業員に使ってもらうことだった。導入当初は、強い懐疑的な反応が示された。フランスでは、一部のマーケティングイニシアティブを縮小するようにというMatrixの推奨に反発するマーケティングマネジャーが現れた。彼らは一部ブランドに感情的な愛着を抱いていたからだ。ドイツでは、営業担当者がD-STARのせいで自分たちの戦略的な取り組み(多くの営業担当者が最も大切にしている活動だった)が縮小されるのではないかと、懸念を示した。

 一部の抵抗は、雇用や職業的なアイデンティティに関するもっともな懸念に起因していたが、多くは、組織が抱えるさらに深い問題点を反映していた。すなわち、従業員は自分が望んでおらず、理解もしていないツールを信頼したり、利用するために努力する理由が見つからないと考えていたのだ。

ペルノ・リカールはどのように従業員の賛同を得たのか

 従業員にデジタルツールの価値を認めてもらうために、ペルノ・リカールは4つの原則に基づく慎重なアプローチを練った。

試行を通じて真価を示す

 ペルノ・リカールはA/Bテストを実施して、デジタルツールが目に見える改善をもたらすことを示した。フランスでD-STARを試験導入したところ、営業担当者がAIの助言に従った店舗は、対照群の店舗よりも市場シェアと売上高の両方が大きく伸びた。この時点で、こうしたメリットは理論上のものではなく、営業チームが実感できる具体的な改善になった。

導入に伴うリスクを取り除く

 ペルノ・リカールは、従業員の恐怖を取り除くために人事考課を見直した。AIの助言に従ったが、目標を達成できなかった営業担当者にはマイナス評価をしない一方で、AIツールを無視して目標も達成できなかった営業担当者は精査の対象となった。「(AIツールの)推奨に従ったのに、ノルマを達成できなかったのなら、問題はない」とボジノフは言う。「だが、(AIツールの)推奨に従わず、ノルマも達成できなかったのなら問題だ」

教育とサポートに投資する

 ペルノ・リカールは各国でAIツール導入チームを設置した。地元の改革管理スペシャリスト、データアナリスト、インストラクターなどが含まれるチームだ。従業員はツールの使い方やその価値について十分な教育を受けた。また、問題に直面したらすぐに報告したり助けを求めたりできるホットラインも設けられた。

社内の導入リーダーを活用する

 ひょっとすると最も重要だったのは、各国でリスペクトされている従業員を技術アンバサダーに指名したことかもしれない。「従業員が耳を傾ける人物を見つけ出した」とマクファーランドは言う。「一定の勤続年数があり、評判のよい人物だ」。このインフルエンサーがデジタルツールを取り入れると、同僚たちも受け入れることが多かった。

 この戦略により、DXは経営陣が押しつけるものではなく、従業員が積極的に望むものへと変わった。「これは実に天才的な戦略だった。上司が『使わなくてはダメだ』と迫るのではなく、従業員が『使いたい。私にも必要だ』と思うようにしたのだから」とマクファーランドは言う。

 2023年までに、D-STARは導入された国で85%の採用率を達成した。Matrixも、伝統的なマーケティングのワークフローに大きな混乱をもたらすにもかかわらず、60~70%の採用率を達成した。2つのツールは、売上げを1.5~4.5%増加させたほか、マーケティング効率を最大15%向上させた。

コントロールと責任のバランス

 ボジノフとマクファーランドは、この研究から得た重要なインサイトとして、企業は「コントロールの範囲」と「責任の範囲」のバランスを取る必要があると語る。AIツールによって、従業員がコントロールできる範囲が縮小するなら、従業員の責任も縮小されるべきだというのだ。ペルノ・リカールはこの緊張に気づき、対処した。たとえばD-STARを利用する営業担当者に対し、AIの推奨に従ったのに、よい結果がもたらされなかった場合は、責任を問われないと伝えた。

「AIを導入すると、従業員のコントロールできる範囲は縮小することが非常に多いが、それに従って責任の範囲が縮小されることはめったにない」とボジノフは言う。「これはAIツールを導入したい時、マイナスのインセンティブになる。コントロールが減るのに、責任の範囲は変わらないのだから」

他の組織への助言 

 この研究に基づき、ボジノフとマクファーランドは、従業員に新しいツールを導入したい企業に、次のような助言をする。

・まず、その価値を証明する試行プログラムを実施する。管理された範囲で具体的なメリットを示すことができるまで、全社的な導入はしないこと。ペルノ・リカールは特定の国で試験的に導入するアプローチをとったおかげで、テクノロジーと導入戦略の両方を最適化できた。

・専門の導入チームをつくる。デジタルツールの導入を成功させるためには、その移行管理を専業とする人たちが必要だ。このチームには、技術スタッフだけでなく、変更管理の専門家も含めるべきだ。

・人間的な側面に、早期かつ頻繁に対処する。ほとんどのDXの失敗は、技術的な問題ではなく人間の問題が原因だと、ボジノフとマクファーランドは言う。研修とコミュニケーション、そしてサポートシステムに力を入れよう。

・技術だけでなく組織のプロセスを調整する。既存のワークフローに、新しいツールを組み込むだけでは十分ではない。新しい機能に合わせて、業務プロセスやインセンティブの構造、評価の基準を再設計しよう。たとえばペルノ・リカールは、デジタルツールをうまく活用した従業員に追加ボーナスを支給した。

・85%の採用率を実現してから拡大する。ペルノ・リカールは、デジタルツールを導入した国で採用率が85%に達するまで、新たな国に広げなかった。85%というのは、この技術とプロセスが真に機能することを確認する基準だった。

 AIがビジネスオペレーションの中心となる中、ペルノ・リカールのケースは、そこに従業員を巻き込みたい伝統的な企業に希望をもたらす。成功のカギは最先端の技術を持つことではないと、ボジノフとマクファーランドは言う。重要なのは、その技術をうまく展開できる組織能力を確保することだ。

「もはや問題は『これをやるべきか』ではなく、『いつやるべきか』だ」とボジノフは主張する。「その答えは、『昨日』(いますぐ取りかかっても遅いくらい)だ」


"How a French Spirits Company Created Employee Buy-In for AI," HBR.org, December 22, 2025.