人生を変える「自由のための貯蓄」という発想
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サマリー:従来からのリタイアメント(退職)を目的にしたマネープランは、現代の長寿社会や幸福の定義と乖離しつつある。仕事を完全に辞めることは、心身の健康を損なうリスクをはらむむばかりか、人生の意義を喪失させるおそれすらある。人々が真に渇望しているのは、自律的に時間と活動を選択できる「自由」だ。本稿では、貯蓄の目的を退職そのものから自由へと転換し、意味ある人生を主体的に構築するためのマネープランのあり方を紹介する。

何のための貯蓄か

 米国人は何十年もの間、ある一つのイベントを中心にマネープランを組み立てるよう教え込まれてきた。リタイアメント(退職)だ。早くからこまめに蓄えれば、いつの日か仕事を完全に辞めることができる。リタイアメントは成功した人生の到達点であり、ようやく自分の人生を取り戻せる瞬間として喧伝されてきた。

 しかし、もしこの前提が間違っているとしたらどうだろうか。今日私たちが想像するようなリタイアメントが、時代遅れであるばかりか、潜在的に有害であるとしたらどうか。そして、貯蓄の真の目的がリタイアメントではなく、もっと意味のある何かだとしたらどうだろう。

 著書Good Money: Six Steps to Building a Financial Life with Purpose(未訳)の中で筆者は、40年間働き、その後の数十年間を仕事から退くという伝統的なリタイアメントモデルは、現代のライフスタイルや幸福に関する知見と乖離していると論じている。現在の米国人や世界中の人々はかつてないほど長寿になり、多くの人は15~20年、あるいはそれ以上のリタイアメント期間が予想される。しかし、完全に仕事を辞めることは、適切に対処しなければ身体的健康の悪化や認知機能の低下、さらには死亡率の上昇につながるおそれがあることが研究で繰り返し示されている。完全なリタイアメントが身体活動の減少、地域社会との関わりの低下、パーパスや方向性の喪失を招くことを考えれば、これは驚くべきことではないだろう。

 ここでの問題は、リタイアメントそのものではない。それを資産形成の中心的な目的へと押し上げてしまったことにある。リタイアメントは、より大きな意味や幅広い人間関係を築くための手段ではなく、それ自体がゴールという抽象的な理想になってしまったのだ。

 多くの人はリタイアメントを望んでいると思っているが、実際に求めているのは自由である。自分の時間をコントロールし、義務的な仕事ではなく意味のある仕事を追求し、家族とより多くの時間を過ごし、地域社会に投資し、パーパスを与えてくれる活動に従事したいと考えている。人々が望んでいるのは、消耗させる仕事から立ち去る能力であり、自分を活性化させる仕事へと突き進む能力だ。怠惰に過ごすことではなく、主体性と自律性を求めている。

 真の目標は、リタイアメントではなく、自由である。この違いを認識した時、ファイナンシャルプランニングはより理にかなったものとなる。

「自由のための貯蓄」は、議論の枠組みを一変させる。「いつか仕事を辞めるためにいくら必要か」ではなく、「現在と将来に、望む人生を送るためにいくら必要か」という問いが重要になる。仕事を逃避すべきものと見なすのではなく、自由のための貯蓄は、いつか自分が最もやりたい仕事は何か、その選択を可能にするためにマネープランをどう組み立てるかを考えるよう促す。給与は低くてもより意味のある仕事に就くことや、地域社会や家族との関わりを深めるために労働時間を短縮することかもしれない。可能性は無限だが、自分の才能や能力を他者のために使い続け、その過程でいくらかの収入を得ることで、貯蓄だけに頼る必要性を軽減するという選択肢もある。

 その目標は、従来のリタイアメントよりも早く達成できる可能性がある。(単純化しすぎではあるが)「4%ルール」を当てはめると、年間7万5000ドルで生活する人が完全に労働市場から退出するには、190万ドル近い貯蓄が必要になる。しかし、65歳を過ぎても楽しめる仕事を通じて3万5000ドルを稼ぎ続けることができれば、貯蓄の目標額は約100万ドルにまで下がる。もし貯蓄の目的が「稼ぐことを完全に辞めること」ではなく、「キャリアの選択における柔軟性を得ること」であれば、その目標はより早期に達成できる。

 この転換は重大だ。リタイアメントのために貯蓄していると考えていると、人々はしばしば、得られるかどうかもわからない見返りのために、何十年もの間、意味や喜びを先送りにしてしまう。世界全体で仕事に真の目的を感じている人がわずか23%に過ぎないという、仕事へのエンゲージメントの極端な低さを示す統計がそれを裏づけている。年金、健康保険、年功序列、退職金口座といった、手放すには惜しい権利に縛られ、変化というリスクを冒せないまま、不本意な職務にしがみついてしまうのだ。

 自由のために貯蓄をすると、貯蓄は人生を「耐え忍ぶもの」から「形成するもの」へと変える。経済的な必要性を緩和するために、投資や退職金口座に十分な資金を投入するという慎重な財務管理は依然として必要だ。しかし、経済的な余力は、キャリアの転換、起業、労働時間の短縮、サバティカル(長期休暇)の取得、あるいは単に有害な環境に対して「ノー」と言うためのツールとなる。それは、義務感ではなくみずからの意思に基づく人生を構築することを可能にし、人をよりレジリエントにする。