「部下のラベル付け」という成人発達理論を学ぶ人が陥りやすい落とし穴
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サマリー:成人発達理論は、学ぶほど人の内面構造を精緻に捉え、他者理解の補助線となる。しかしその高い説明力ゆえに、人を特定の段階に固定し、序列化する「ラベル付け」へと反転する危うさをはらんでいる。ひとたび理論が「疑いえない事実」として神話化されれば、成長を支える「育成の知」は、選別を正当化する「人事の装置」へと変質しかねない。本稿では、理論の陥りやすい罠を解き明かし、自他の成長に真につなげるための「運用の作法」を考察する。

連載『成人発達理論で考える部下の育て方とリーダーの成長』こちら

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差別意識より怖い「公正に見える顔」による正当化

 ザカリー・スタインは、発達心理学と哲学の双方に深く通じた研究者であり、成人発達理論、とりわけ「段階モデル」や「発達測定」が社会でどのように使われ、どのようにゆがめられていくのかを批判的に検討してきた思想家です。彼は単に理論の精緻化を目指すのではなく、理論が教育・組織・リーダーシップの現場に持ち込まれた時に生じる倫理的・社会的問題を正面から扱ってきました。スタインの仕事の特徴は、発達理論を「より正確に使う方法」を提示すること以上に、理論が人間理解を深める方向にも、人間を縛る方向にも作用しうるという二面性を明確に言語化した点にあります。

 まず押さえるべき前提は、スタインが問題にしているのは「理論が間違っている」という話ではなく、むしろ逆で、「強力で便利な理論ほど、社会に出た途端に神話化されやすい」という点です。神話化とは、もともと条件つきで成立していたモデルや測定(メトリクス)が、いつのまにか「疑いえない事実」や「人間の本質を言い当てる物差し」のように扱われ始めることです。

 スタインがここで挙げる二つの落とし穴が、「所与の神話」(myth of the given)と「諸金属の神話」(myth of the metals)です。二つは別々の問題に見えますが、実際には連結しています。所与の神話が「測定値や段階ラベルを客観的事実として固める力」だとすると、諸金属の神話は「その固めたものを使って、人を序列化し、配分(抜擢・選別)を正当化する力」だといえます。

 まず「所与の神話」から整理します。スタインが言う「所与の神話」とは、モデルや指標が本来持つ暫定性・限界・文脈依存性を忘れ、「この数値(この段階)は、その人の発達そのものを指している」と見なしてしまう傾向です。スタインは、モデルやメトリクスは常に仮説的で、多視点的で、境界づけられた道具にすぎないのに、現場ではそれが「実在の写し」になってしまう、と問題化します。言い換えると、「地図を地形だと思い込む」ことです。

 この誤解が起きると、どのような問題につながるか。成人発達理論では、段階やスコアは本来、「特定の課題」「特定の問い」「特定の文脈」「特定の採点規則」という条件の下で推定された構造です。しかし所与の神話が入ると、推定であるはずのものが「その人の本質」「真の能力」「固定された現在地」にすり替わります。すると、揺らぎや領域差、支援条件による変動が見えなくなります。「この人はこの段階だからこうだ」と確定してしまい、発達をプロセスとして扱う余地が縮みます。ここで理論は、成長の可能性を開くものから、可能性にふたをするものへと反転します。

 次に「諸金属の神話」です。スタインはここでプラトン『国家』の有名な比喩(市民の血に金・銀・鉄・銅が混じっていて、それが役割と序列を正当化するという嘘)を引き合いに出し、心理測定や能力評価が社会制度と結びつくときに起こりうる危険を論じます。つまり、測定が「適材適所」のための情報提供ではなく、「この人は金属(発達段階あるいは能力レベル)が違うのだから、ここまででよい/ここから先は無理だ」という身分制の正当化へと傾く危険です。スタインは、能力評価が社会的配分(機会・地位・報酬)と結びつく以上、そこには必ずイデオロギー化の力が働く、と述べます。

 ここで重要なのは、諸金属の神話が露骨な差別意識だけで起こるわけではない点です。むしろ「公正に見える顔」をして侵入します。たとえば「科学的に測っているのだから公平だ」「データに基づく抜擢だ」といった言葉で、序列化や排除が合理性として包まれる。スタインが示唆する核心は、測定そのものよりも、測定を根拠にした配分の正当化こそが神話の本丸になりうる、ということです。

 そして二つの神話は連鎖します。所与の神話で「段階やスコアは客観的事実だ」と信じ込むほど、諸金属の神話は作動しやすくなります。なぜなら、「事実」になった数字は、人を分ける線として使いやすいからです。結果として、成人発達理論は「学習と変容の理論」から、「分類と配分の理論」へと社会的に変形されます。

 ここまでをビジネス文脈へ翻訳すると、次のようなよくある現象が起こります。まず、研修や読書で段階モデルを学ぶ。次に、人を見るときの言葉が「観察→仮説→支援」ではなく、「断定→評価→配分」へ寄っていく。「この人は段階が低いから細かく管理しよう」「この人は高い段階だから任せよう」という発想が、本人の成長支援というより、組織運用の都合と結びついて強化される。これが進むと、成人発達理論は「育成の知」ではなく、「人事の正当化装置」として消費されます。