マン渓谷の悲劇から我々は何を学ぶべきか

 突然の危機に対処し、大惨事を防ぐことが任務の小規模なグループにおいて、その構造はどうあるべきなのか。

 こう問いかけたのは、裁定取引部門のリーダーではなく、企業再建の達人でもなく、今世紀最大の猛吹雪と対峙している航空会社のディスパッチャー(運航管理者)でもない。英文学が専門の元シカゴ大学教授が問うたのである。彼は13人の若者が命を落とした、ある森林火災について研究を行った。

 その人物とは、1976年に刊行された小説『リバー・ランズ・スルー・イット』(邦題『マクリーンの川』[注3])の著者として知られるノーマン・マクリーン(1902~1990年)である。マクリーンは『マクリーンの渓谷』に関する調査と執筆に10年以上を費やし、その刊行は没後の1992年となった。

 同書は、1949年8月にモンタナ州の山間部で猛威を振るった森林火災の消火活動を記録した作品である。マクリーンは火災の生存者や米国農務省森林局の退職者らを取材し、みずから人里離れたマン渓谷の現場を視察して、森林局に保管されていた記録や火災の数理モデルも組み合わせることで、半世紀近く前の悲劇の1日の出来事を再現した。

 1949年8月5日の午後4時頃、15人のスモークジャンパー(森林火災の現場にパラシュートで降下する消防士)が、マン渓谷に降り立った。彼らは消防士としての訓練は積んでいたものの、グループで活動するのはそれが初めてだった。グループのリーダーは当初、これは初歩的な「10時の火災」、つまり、翌朝10時までには鎮火できるはずの火災だと考えていた。だが、火は燃え広がり、消防士たちは生き延びるために必死で逃げなければならなかった。

 マン渓谷の火災は、遠い時代の悲劇のように感じられるかもしれない。しかし、マクリーンが探究した内容は、今日の読者にも深い意味をもたらす多くの問題と関連している。企業のリーダーシップに関心がある人たちにとって、この出来事はリーダーが直面している問題を照らし出すものとなる。

 企業の業務は小規模で、一時的に構成される集団で行われることが増えてきた。そのような集団は、高いリスクをはらみ、人の入れ替わりが激しく、混乱が広がりやすく、予期せぬ事態がよく起こる。以降で見ていくように、マン渓谷のチームや、企業で増え始めている最小規模の組織は、突然かつ危険な形で意味を失いやすいのだ。

火をもって火を制す

 マン渓谷の火災は、8月4日の落雷によって、枯れた木に小さな火がついたことから始まったと思われる。その翌日、気温は約36度に達した。火災危険度は100のうち74にまで到達し、その火事が制御できなくなるほど広がる可能性を示していた。

 監視員が約50キロメートル離れた山の上から火を見つけると、午後2時30分、16人のスモークジャンパーがC-47輸送機でモンタナ州ミゾーラから送り込まれた(うち1人は体調を崩したため降下しなかった)。隣の渓谷に配置されていた森林警備隊員のジム・ハリソンは、すでに火災現場に到着しており、一人で火災と戦おうとしていた。

 その日は、風が激しく吹いていた。そのため、通常なら高度365メートルからスモークジャンパーと器材を降下させるところを、高度610メートルから降下させた。無線機につながれていたパラシュートは開かなかったので、無線機は地面に叩きつけられ、粉々になった。しかし、それ以外のメンバーと器材は無事、午後4時10分までにマン渓谷に到着した。スモークジャンパーはあちこちに散らばった器材を回収し、手早く食事を取った。