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危機的かつ不透明な中でどのように決断してきたのか
編集部(以下色文字):ソニーは2000年代後半から経営危機に陥り、吉田さんはCFOとして、社長兼CEOを務めていた平井一夫さんとともに経営改革を行いました。当時のソニーを襲った危機をどのように捉えていましたか。
吉田(以下略):ソニーのビジネスモデルは、2つの構造変化によって崩れ始めました。
1つ目が「ものづくりの水平分業化」です。ソニーは、垂直統合型のものづくりで成長した企業です。しかし、1995年頃からのコンピューティングの革新により、産業構造が水平分業化し、量を追う競争に巻き込まれていきました。まさに1995年は、コンピューティングの民主化が進み、コンピューティングとエンタテインメントが融合され始めた年だと考えています。マイクロソフトからウィンドウズ95が登場し、ピクサーはフルCGの長編映画『トイ・ストーリー』を公開しました。ソニーも1994年に日本で発売した「プレイステーション」のグローバル展開をこの年に始めています。
そして2つ目が「メディアの変化」です。ソニーは、トランジスタラジオやトリニトロンカラーテレビといった放送メディアから生まれ、ウォークマンなどパッケージで大きくなりましたから、私は「戦後生まれのメディア企業」と呼んでいます。しかしその後、コンテンツを届ける手段がネットワークへと移りました。
この変化を象徴するのが、2001年のiPodの登場、決定的な影響を与えたのが2007年にリリースされたiPhoneです。ネットワークとコンピューティングの進化によって、ソニーの主力製品だったウォークマン、カメラ、ゲームなどあらゆるものが飲み込まれていきました。
いま振り返ると、あのフェーズでは誰がトップをやっても苦しかったと思いますが、当時のソニーには危機感が足りなかったかもしれません。
PHOTOGRAPHER AIKO SUZUKI
危機から脱却するために、2014年には、テレビ事業の分社化、PC事業の撤退を行いました。ソニーはその後、エンタテインメント事業への注力やクリエイションシフト(「感動を届ける」から「感動を創る」へ軸足を移す)を進めましたが、当時からそれを見据えて決断していたのですか。
正直なところ、その時にはクリエイションへのシフトを念頭に置いていたわけではありません。特にテレビ事業は、10年で約8000億円の赤字を出している状態で、とにかく止血するしかないという考えで実行していました。
そうした痛みを伴う構造改革を進める一方で、将来に向けて限られた経営資源をどこに投資するかも決めなければならなかったと推察します。投資する分野、しない分野をどのように決めていったのでしょうか。



