一方の『フラガール』はどうかというと、蒼井優にはリポジショニングなど端から眼中にない。炭鉱業から観光エンターテイメント業へというリポジショニングは、常磐ではもはや炭鉱業が成り立たないという限界が明々白々となった時点ですでに決まっていた(というか、余儀なくされていた)。前にも話したように、『フラガール』では、外的な競争環境が従来のポジショニングをあらかた破壊してしまったというところから始まっている。これに先行して、本当に炭鉱業に見切りをつけるべきか、新規事業に乗り出すとしてもそれが観光業なのか、といった議論が会社の中では延々と繰り返されていたと思うのだが、そういう場面は映画の中にはない。

 フラダンサーという仕事が「本当の自分」なのかという疑問は、蒼井優にはそもそもない。もちろん不安はあっただろうが、状況からしてポジショニングを云々している場合ではないのである。とにかくやるしかない。で、これまでとはまったく異なる能力構築に邁進する。苦労して練習しているうちに、ダンサーの仕事が楽しくなってくる。その結果、炭鉱労働者の家庭の娘だった彼女が、気づいてみると常磐ハワイアンセンターの舞台の上でどんどこどこどこ踊っている。観客はやんややんやの大喝采。会社としても、観光業がうまくテイクオフし、戦略転換の成り行きとなる。

 もし蒼井優がポジショニングの発想に傾いていたらどうだっただろうか。ものになるかどうかわりと不確実なフラダンサーの練習に心骨粉砕するということにはならなかっただろう。ちょっとやってみて、「あ、これは無理だな。ダンサーはないな…」となり、「次、行ってみよう!」ということになっただろう。いや、それ以前に、炭鉱業の斜陽がはっきりした時点で、とっとと生まれ故郷の炭鉱の町を捨て、当時伸び盛りの機械工業の会社の事務員か何かの職を得ようとしたはずだ。それがポジショニングという思考様式である。

 蒼井優だけではない。『フラガール』の会社(常磐興産)全体にそもそもポジショニングの考え方が希薄だったといえる。さらに時間を前に戻して考えてみると、すでに話したように、右肩下がりの傾向がはっきりしても、常磐興産はずるずると炭鉱業を続け、そのうちににっちもさっちもいかないところまで追いつめられた。これは、炭鉱の町の炭鉱業の会社として、それまで自分たちが営々と築いてきた組織能力に会社として固執していたからだ。常磐興産がもっとポジショニングに目ざとい会社であれば、「事ここに至っては……」というところまで追い込まれるずっと前の段階で、炭鉱業に見切りをつけて転業していたはずだ。

 ことほど左様に、ポジショニングと能力という2つの戦略思考は折り合いが悪い。腰を据えて能力構築に取り組める蒼井優のような人物や常磐興産のような会社は、外的な環境と機会を見渡して先取り的にリポジショニングしようという発想が弱くなる。一方で、思い切った戦略的選択で過去を「なかったこと」にして、次のポジションへと立ち位置を大きく振ろうとするアン・ハサウェイのような人物は、能力再構築にとって決定的に重要となる「我慢」がきかない。

 ところが、創造的破壊というその本質からして、企業変革なり戦略転換はリポジショニングと能力再構築をどちらも必要とするのである。そもそも折り合いがつきにくい両者をどのように両立させるのか。そこに変革のマネジメントとリーダーシップが直面する最大の挑戦課題がある。
 

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