1981年にCEOに就任して以来、80年代のウェルチには、「ニュートロン・ジャック」という冷酷無比で非情な経営者のイメージが強かった。しかし、初期のリストラ(ウェルチの言葉でいう「ダウンサイジング」)が一段落すると、ウェルチのGE改革はわりと「現場志向」で「ボトムアップ」な施策を次から次へと繰り出すようになる。この軌道修正が興味深い。

 例えば、「ワークアウト」。業務を遂行している現場の小さな組織単位で行われる一種の提案活動である。ウェルチはこの施策を、当時とりわけ現場主義の強みが世界的に注目されていた日本企業に学んで導入したという。ただし、日本の工場などでの提案活動と一味違うのは、ワークアウトの活動に意思決定権限を持つラインマネジャーが入っているということ。効果が期待できる提案が出てくると、マネジャーはやるかやらないか、すぐに意思決定し、「やる」場合は必要なリソースを投入し、「やらない」場合は、なぜ「やらない」のかを、その場で説明しなければならない。このようなワークアウトは、レグ・ジョーンズ時代の「すべての指示は本社から階層的に降りてくる」というフォーマルでトップダウン型のGEの仕事のやり方を、現場の活力を生かそうとするものに変革する意図があった。

 さらに後で出てきた施策としては、「シックス・シグマ・クオリティ」がある。これもまた現場志向の品質改善運動だった。ウェルチによって推進されたシックス・シグマは一世を風靡し、多くの企業にも広まった。そのため、シックス・シグマはGEが本家本元のように思われがちだが、実際はモトローラが(多分に日本の生産現場の品質改善プログラムから学習して)開発したプログラムであった。

 ウェルチはモトローラの経営陣からこのプログラムの話を聞き、あらゆる事業部門で、最上位にいるウェルチから現場の一般社員まで、全社一律例外なくシックス・シグマを導入することにした。もともと工場の生産現場を念頭に置いて開発されたプログラムなので、当時すでにGEキャピタルなどの純粋サービスの事業も少なくなかった。表面的にはこうした「品質改善」とそれほど縁がなさそうな事業分野にも強制的にシックス・シグマを導入した裏には、直接の目的である品質改善に加えて、縦にも横にも巨大なGEの組織に、全社的な共通言語、共通経験を持たせるという意図があった。

「バウンダリレス」と名づけられた運動も全社的な価値観の共有を目的としていた点では同じである。直訳すれば「境界がないこと」というこの言葉は、組織の垣根を越えて、ベストプラクティスを共有していこうという運動で、ありていに言えば「組織の風通しを良よくする」ことを目的としていた。裏を返せば、重要な情報や資源を自分の部署だけで独占するのは許されないというメッセージである。

 これと前後して、ウェルチはGEとして全社的に共有すべき価値観やマネジャーの行動指針を打ち出した。前者は「3つのS」、スピード、シンプリシティ(単純明快さ)、セルフ・コンフィデンス(自信)、後者は「4つのE」、エナジェティック(マネジャーは元気でなければならない)、エナジャイズ(周囲の人を活気づけなければならない)、エッジ(YESかNOか、やるかやらないか、白か黒か、はっきりさせなくてはならない)、エクゼキューション(決めたことはすぐ実行しなければならない)、として表現された。