「毎日10分の日記をつければ、人は成長する」――これは数日前に本サイトで掲載した、アマビールとクレイマーの記事だ。そしてブレグマンもまた、その日の終わりに振り返りの時間を持つことの重要性を述べる。同じ失敗を繰り返さず、より良い明日と人生を送るための最も簡単な方法だ。
ジュリー・アンコは解雇の危機に瀕していた。彼女は私が支援する小売企業の一部門を率いるリーダーである。この事態がややこしいのは、彼女がトップレベルの業績を上げていたからだ。過去5年間のどの前任者よりも、彼女はブランド価値の向上に貢献していた。
問題は、その猪突猛進ぶりにあった。人間業とは思えないほどよく働き、他者にも同じ働きを求める。自分と同様の超人的な努力を見せない者に対して、しょっちゅう激怒する。さらに、彼女は負けず嫌いで縄張り意識が強かった。実質的には同僚が決定権を持つ案件であっても、ブランドにわずかでも関連することであれば、すべからく自分が最終意思決定を行うことを望んだ。他者の発言に耳を傾け、権限を委譲し、チームを励まし称賛する――こうしたことが苦手だった。そして、彼女の長い勤務時間とは裏腹に、職場にはほころびが生じ始めていた。
しかし、こうしたことが解雇の危機を直接招いたわけではない。真の問題は、彼女自身がこれらを問題と感じていなかったことである。
ジュリーを担当するよう依頼された私はまず、彼女と仕事をしたことがある人全員にインタビューを行った。状況を把握し、周囲の見解を彼女自身と共有するためだ。人々からの意見を彼女に伝えたところ、意外な反応が返ってきた。「これほどまずいことになっていたとは、知りませんでした。でも、驚きはしないです」私は理由を尋ねた。
「前の会社でも同じことを言われたからです。それが原因で退職したんです」
ジュリーの愚かさを笑うことは、誰にでもできる。自身の失敗を省みようとせず、その結果また同じ失敗を繰り返しているのだから。でも、そんな彼女を笑う私たちの顔は、少々ひきつっているはずだ。多くの人々もまた――私自身を含め――失敗を繰り返すからだ。
私も無自覚なまま、同じことを繰り返していることがある。人は年齢に応じて賢くなるものだとは思う。しかしどういうわけか、同じ過ちを犯すのだ。裏を返せば――まったくありがたくはないが――たくさんの正しいことをするが、それを繰り返すこともできない。
それにはある単純な理由がある。私たちは、立ち止まって深呼吸し、何がうまくいっているのか、何がうまくいっていないのかを思案するということがほとんどない。やるべきことがたくさんありすぎて、内省する時間がないのだ。
以前にこんな質問をされたことがある。「もし会社が従業員に、1つだけ何かを指導することができるなら、何を教えれば最大の効果があるか」。私は即座に、はっきりとこう答えた――「学ぶ方法」。過去の行動をどう振り返り、成功要因をどう見極めて繰り返すか。同時に、うまくいかなかったことをどう正直に認め、改めるか。
もしそれをうまくできれば、すべてが自律的になる。こうすることで人は生涯を通しての学習者となり、会社は学習する組織となる。みずから学習していくには信頼と率直さが必要となり、保守的な姿勢を捨てなくてはならない。しかし、それほど多くを必要としないものもある――時間だ。