今回は、2つの論理を賢明に組み合わせて成功した事例を紹介する。トロント国際映画祭が世界的な認知を得て成功した裏には、何があったのだろうか。
これまでの記事で、私たちが陥りやすい論理の罠について述べてきた。個々に見れば論理的だが内容は相反する2つの命題を混ぜ合わせ、論理的に欠陥のある命題を1つつくり、悲惨な結果を招くというものだ。
しかし、2つの論理的な因果関係を組み合わせて、より優れた統合モデルをつくることも可能だ。必要なのは相対する2つの論理をより深く検討して、その裏にある思考を理解することだ。
この統合的なアプローチを実践したのが、トロント国際映画祭を運営するピアーズ・ハンドリングだ。彼がトップに就任した時、同映画祭はカナダ国内においてさえ最も成功している映画祭ではなかった。だが、彼のリーダーシップの下でカンヌ映画祭と並ぶまでになった。
かつての成功している映画祭(カンヌも含む)は以下のシンプルな条件に基づいて運営されていた。
1. もし、映画祭を排他的な(一般の人が参加できない)ものにすれば、その結果、話題性(つまり、メディアからの注目)を生み出すことができ、映画業界も参加したがる。しかし、地元のコミュニティはこの楽しいイベントから締め出される。
このやり方は、少数の作品のみに参加を呼びかけ、業界のインサイダーが審査員となり、ごく限られた作品の中から1つを選んで賞を与える。スターが出席し大きな賞が発表されるので、メディアが受賞作品に注目し、業界は喜ぶ。だが、地元のコミュニティはベルベットのロープの向こう側に追いやられ、映画スターを1人か2人目撃するだけで満足しなければならない。
もう1つ、別の形の映画祭がある。これは異なる論理に基づいている。
2. もし、映画祭を包括的な(一般の人も参加する)ものにすれば、その結果、地元の映画ファンのコミュニティを築くことができ、加えて地元の映画業界も活気づく。しかし、他の地域の映画業界は映画祭への参加にあまり興味を示さないだろう。
この2番目のモデルが、トロント映画祭の創設当初からの基盤であった。可能な限り包括的なものになるよう運営され、地元のコミュニティを巻き込み、映画への情熱を育てていった。これによって地元では強固な映画ファンの層ができ、大勢のボランティアが集まったが、業界が注目する理由はあまりなかった。
ハンドリングがこの因果関係を理解していなかったら、問題を気にも留めず、有効性を考えることもなしに2つのモデルを混ぜ合わせていただろう。