「良循環」を考えるためのヒント

 具体的な例として、少子化を取り上げてみよう。ただし、ここに模範解答としての「良循環」を描くことはしない。その理由は「正しい良循環」というのは存在せず、「優れた良循環」しかないことと、きわめて身近なテーマなので実際の演習を自分でやってみて欲しいからである。そのための考えるヒントをいくつか提示してみる。

「十分その効果を検証しないまま、方針と施策がころころ変わるため、結果として、女性のもっとも懸念していることに答えていない」ことが中核課題だとする。すなわち、「先の見通しが立たない、経済的に見合わない」という、過去何度もやったアンケート調査の結果、よくわかっているはずの女性の最大の関心事にちゃんと答えていないのである。

 先の民主党政府による子ども手当のマニフェストから実施の際の支給金額の減額、やっと支給を開始したかと思うとかつての児童手当という名称に戻す右往左往ぶりに、政府の無定見さが見え見えである。女性の目からすると「今度も政府の腰が据わっていない、やっぱり先の見通しが立たないではないか」という結果でしかなく、子供を産む気にはならない。

 少子化の傾向が始まって数十年たったにもかかわらず、いまだにだれも本気で少子化問題を捉えていない。厚生労働省は、子ども手当は少子化対策ではなく、OECD(経済協力開発機構)諸国の中で人口比子育て予算が最も少ないという問題に対して答えただけだと言うに違いない。まさに日本の官僚的組織に見られる「横並び発想」でしかなく、何かの効果を期待して新たに法律を作り、予算を取ったわけでもない。そこに何かの「良循環」を作り出すきっかけにしたいと政治家や官僚は思わなかったのだろうか。

 OECDも子ども手当よりも母親の就労環境の改善のほうが大事だといっているのは皮肉である。しかし、厚労省は縦割り行政の中で母親の就労環境は扱えない。要するに、産業だけでなく省庁横通しの「社会システム」的発想は、現行の縦割り行政の仕組みでは出てこないのである。

 フランスでは分娩費用は無料だが、日本では分娩は健康保険の対象ではない。しかし、分娩費用も広くとらえれば「子育て予算」の範疇であろう。子供はまず産まないと育てられない。家計における必要度合いに関係なく、しかも何に使われるかわからないまま、数兆円ばらまくよりも、各国の比較でもきわめて高い分娩費用、および、すべて自己負担になっている妊娠中の健診・治療にかかる費用を軽減することをまずやるべきであった。分娩費用は半分程度が数か月後に返ってくるが、キャッシュフロー的に苦しい生活をしている若い夫婦にとって直接的に大きな負担になっているはずだ。

 救急車を呼んだ妊婦が多くの病院から受け入れ拒否されたことが時々新聞記事になる。病院が悪いという印象を与えているが、それは必ずしも正しくない。日本にはまさに「社会システム」というべき、妊婦のための「周産期医療システム」が存在するのだが、そのシステムは救急隊員が電話でお願いしてもスタートさせることはできない。かかりつけの医師がスタート・ボタンを押さないと始動しないのである。

 ではなぜ、このようなかかりつけの医師がいない妊婦が存在するのだろうか。それは妊娠プロセスにかかる医療費は保険でカバーしていないため、時には診療代が数万円もすることもあるので支払いができない。それが理由で病院や診療所に行かない妊婦がいるからである。

 国立社会保障・人口問題研究所の過去数回にわたる、出生率は将来回復するという、「ホッケー・スティック」予測(下降傾向の事象が急に何の根拠も理由もなく上昇傾向に変わる姿が似ているためこう呼ぶが)を信じたのか、歴代政府の無策がすでに数十年続いてきたため、子供を産む年齢の女性の数が二世代にわたって減ってしまったのである。ということは、出生率が多少改善しても、実数としての人口が回復するには数十年かかる。急いでも仕方がないのであり、じっくり腰を据えた施策が必要である。