伝統的な家族像に対する幻想を超えて
ちなみに、フランスの出生率は直近では2.2まで上がったそうであるが、フランス政府が、少子化対策というより、人口増加のための施策を始めたのは1870年、普仏戦争敗北後からであり、いろいろな施策をやったがうまく当たらず、やっと成果が出始めたのは1999年に成立した婚外子を政府援助の対象にするPACS(民事連帯契約)法からである。近年の新生児の半分以上がそうであるという。
スウェーデンも出生率が2.0を超えているが、未婚の母を受け入れる社会であることが効いているとも言われている。昔、日本とアメリカ、ドイツの参加国における25歳の未婚の母に対する社会保障の比較をしたことがあるが、日本は両国に比べてほとんど何もないに近い状況であった。日本社会にはそういう女性が存在しないから必要ないのだと強弁した記憶があるが、実は存在させないから存在しないというのが日本社会なのではないだろうか。
「仲の良い夫婦とかわいい子供2人」というテレビ・コマーシャルのような家族だけではない。よく問題になる孤独な独居老人だけではなく、離婚した父と子、離婚して実家に帰った子連れの娘、生活力がない夫と子供を抱えて働く妻、自分探しを続けている間に中年になった息子や娘を抱えた親など多種多様な家族形態になっているのが日本の現実だ。
当然、伝統的な結婚に幻想を抱くことを止め、夫は欲しくはないが子供は欲しい女性もいるだろう。しかし、なかなか度胸を出して実行できない。日本は「未婚の母」を温かく受け入れる社会の度量がまだないようだ。社会慣習のせいもあろうが、いまだに「未婚の母」「離婚の母」に冷たい国である。制度が整備されていないため働きながら子育てをすることがすんなりできにくい社会である。
その状況を改善するためか、幼稚園と保育園の一体化が議論されたが、これはまさに「箱物行政」の発想だ。必要なのは施設という「箱物」の一体化ではなく、保護者が必要な乳幼児から小学校3年までの期間、ちゃんとシームレスに預かってくれる「乳幼児・児童預かりシステム」である。申し込みを1回すれば、施設は違っても9歳まで面倒を見てくれるというオペレーティング・システムの一体化である。働く主婦にとってわずらわしさがなくなるだけでなく、「先の見通しが立つ」のである。
少子化は社会経済的現象だといった。その傍証になるのが沖縄県と福井県であろう。両県とも出生率は高い。沖縄県は三世代同居をまだ残している。福井県は有業主婦が多い県だが、祖父母が孫の面倒を見るということが現在も行われているからである。女性にとって「先の見通しが立つ」という状況が伝統的な家族社会の中で残っている。しかし、意識も活動力もある団塊の世代である現在の祖母の価値観も変わり、少しこの役割に不満を持ち始めているともいわれている。これが崩れると出生率に影響するだろう。
このように見てくると出生率改善の「良循環」が浮かんでくるのではないだろうか。多分、1つではなくいくつか出てくるだろう。例えば、「未婚の母」も今の日本では決心がいるが、段々増えてくると、本人も周りもあれでいいのだと思うようになり、よりいっそう多くなっていくというような「良循環」もあるだろう。実際に、図を何度も描きながら考えてみてもらいたい。
次回はこのような「良循環」を「駆動するエンジン」としてのサブシステムの議論をする。
(第5回に続く)
【連載バックナンバー】
第1回 「社会システム・デザイン」とは何か
第2回 社会システム・デザインは「身体知」であり「高度技能」である
第3回 悪循環は現象を見るのではなく「中核課題」を捉えよ