集合知の成立条件のひとつに、参加する側のメリットがあげられます。しかし、今回取り上げるのは、参加者にそれほどメリットがない集合知についてです。メリットがないのに、人々はなぜ協力するのでしょうか。そして、集合知を機能させるには参加者の数が必要なのでしょうか。

 

青空文庫呼びかけ人 富田倫生の死を悼む

前回はフリーソフトをもとに、集合知の成立条件を考えた。その最も重要なものは、参加する側にとって何らかの(有形無形の)メリットが必要だということだ。

山形 浩生
(やまがた・ひろお)
1964年生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程修了。マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務のかたわら、科学、文化、経済からコンピュータまで、広範な分野での翻訳と執筆活動を行う。

 ところで、前回挙げたフリーソフト以外にもインターネット初期の集合知のような活動として顕著なのが、著作権の切れた本を電子化してフリーで公開する活動だ。その代表的なものはアメリカで始まった「プロジェクトグーテンベルグ」、そしてその日本版とも言うべきものが青空文庫だ。特にOCR(光学式文字読取装置)が初期からかなり実用的に使えた英語テキストに比べ、日本語は手作業に頼らざるを得なかった。その意味で、きわめて手間のかかる作業だ。だがこのプロジェクトのおかげで、大量のフリーな日本語作品の電子テキストが生み出された。

 2012年は、一部では日本の電子書籍元年などとも言われた。とはいえ毎年のように、何か新しい端末が出るたびにそういうことを言う人はいたわけだが。でも、そうした端末のほとんどすべてにおいて、青空文庫の作品は大量に活用され、悪く言えば作品数の水増しに貢献してきた。日本の電子書籍というビジネス分野――まだビジネスと言えるものになっていないという批判も十分に可能だが――は、こうした集合知的なボランティア活動に根ざしている。

 本稿執筆中の8月半ばに、その青空文庫の呼びかけ人の1人である富田倫生が他界した。単に電子テキストの生産を呼びかけるだけでなく、それに関連して著作権期間の無意味で有害な延長への反対運動、さらに最近ではTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を口実にした著作権関連規制の強化に対する反対など、電子テキストを取り巻く環境の整備に対しても積極的な取り組みを行ってきた偉大な方だった。このぼくも、半ば彼の活動に影響されてフリーの翻訳プロジェクトを始めたりもしたし、それも含めて彼が周囲に与えた影響ははかりしれない。その早すぎた死を心より悼むと同時に、ぼくたちがその遺志を少しでも継いでいかなくてはならない。

 読者のみなさんがネット上でなにげなく接する各種文書(特に日本文学)が、実は青空文庫の成果だったりすることも多い。ときには、ご自分が読んでいるものの背後にあるこうした活動にも思いをはせてみてほしいなと思う。特に本稿の読者は、それがまさに集合知的な活動の成果だということを念頭に、なぜそれが可能なのかを改めて考えて見てほしい。