広範囲にわたる株式所有は、企業の概念を適用するいかなる試みにおいても重要な問題になりうるし、またそうであるべきだろう。しかし、ここで展開した企業の概念は、網の目のような株式所有関係や単なる支配力の存在に依存しない。他方、長期の契約、賃借契約、特許ライセンス協定は、等しく効果的な支配の一手段となりうるとはいえ、簡単に同じように扱うことはできない。ある企業が、大企業によって支配されているか、株式所有を理由に大企業の子会社として分類されている場合、この企業が大企業の一部であるといえるのは、2つの企業の活動に管理上の調整が行われている証拠がある場合のみである。たとえば、その企業の生産計画や拡張計画が大企業の計画と調整されるとか、財務上の決定が大企業によって、あるいは大企業の決定と一緒に行われる場合がそれにあたる。この企業が、大企業の経営計画や管理の仕組みから独立して運営されていることが明らかな場合は、大企業の一部として分類されるべきではない。この場合は、大企業の行使するいかなる影響力も、経済力の延長と捉えるべきで、調整を経た生産活動計画の延長として捉えるべきではないからである。したがって、多くの事業会社は共通の資金源あるいは共通の所有者という強力な要素によって多かれ少なかれ相互に緩やかにつながっているが、そのような関係が単に存在すること自体は、そうしたグループを1つの企業と呼ぶことを正当化するほど、有効かつ適切な管理上の調整が行われていることの証拠にはならないのである。

 たとえば、ある巨大企業が、別の巨大企業の株式を少数とはいえ金融上の部分的な支配ができるほど買ったものの、相手企業の生産活動を自社の生産活動と調整しようとしない場合を想定しよう。株式を購入した巨大企業は戦略的な問題では干渉するかもしれないが、しかしそのような力は、他の関係、たとえば、有力顧客という地位に付随するものほど大きくはないかもしれない。この巨大企業は、株式購入によって、それ以前より大きくなったのだろうか。この株式の購入は、買い手の立場からすればそもそも資産の変換、つまりキャッシュから証券への変換だった可能性もあり、買い手側が支配の範囲を拡大したかどうかは明らかではない。なぜならば、生産的資源に対する金融的支配力という意味での金融上の「規模」は、このような資産の変換によって必ずしも影響を受けないからである。

 経済力の及ぶ範囲と事業会社本体の規模とを区別することは、きわめて重要である。経済力の分析にとっては、事業会社は最も適切な単位ではないことは疑う余地もない。実際、個人も法人も、彼らの所有権を拡大することによって経済力を拡大しうる。そして、経済力の及ぶグループによって企業を定義しようとすれば、曖昧すぎて扱いづらい概念を生み出してしまう。「成長」の分析、拡張や規模の分析は、まったく別の種類のものである。経済学的にいかなる意味で「金融グループ」を「企業」と呼べるのか、あるいは、そのような「企業」への再投資が何を意味するのかが判然としない。この類の力の拡大は、大部分、法律上の機会、法律上の制度、および法律上の制限に関わる問題である。ある意味では、企業は金融的な力を拡大することで「成長」を続けるが、それはわれわれの考える成長とは別の意味である。その成長はなお経済的な意義をもつが、それは生産組織にとっての意義というよりも、金融上の支配力の集中と、このような支配力を使って自らが率いるグループの金融力のために資源の利用を操作する可能性にとっての意義である。この種の成長に対して限界を設けるのは、生産の組織や管理に関わる条件ではなく、公共の利益にもとづく規制、あるいは金融投機の危険性である。