企業の「歴史」の継続性

 ある時点での特定の企業の境界を決めるのは難しいし、その上企業の成長を追っていると、法律的に異なる企業の継承を単一企業の歴史のなかのことがらとして扱うべきなのはどういう場合かを決めるのが難しいこともある。

 実際に、企業の名前が変わることはあるし、経営陣や所有者が変わることも、製品が変わることも、地理的な立地が変わることも、また、法律上の形態が変わることもある。それでもわれわれは自然にそれを同じ企業とみなし、その企業の「生涯」の物語を記すことができる。企業が自社の運営の「中枢」的人材を失うほど完全に破綻したり、自らのアイデンティティを失ったりしない限り、その継続性が、危機の際に銀行家によって維持されたのか、あるいは賢明なプロモーターの才覚によって維持されたのかは重要ではない。再編が行われるかもしれないが、一般に再編それ自体の遂行には少なくとも管理者たちの下位グループの継続性が求められる。ちょうど政治の世界で、国家が他の国によって分割されたり完全に併合されたりしなければ、度重なる政府の交代や行政組織の再編を経て「生き延びていく」ように、企業のアイデンティティもまた、さまざまな種類の変化を経ながら維持されうる。しかし、企業の資産や人材が分離されたり、完全に異なる管理の枠組みに丸ごと吸収されたりした場合、そのアイデンティティは途切れてしまう。

 企業は、財務的な破綻がまったくなくても、アイデンティティを保った形で存続できないこともある。非常に成功している企業が、別の企業と合併して、その結果自社のアイデンティティを失っても、その方が独立で事業を続けるより有利だと気づくこともある。この場合は、かりに後者の企業が前者の企業を自社の管理の枠組みに吸収し、自社のアイデンティティを維持しているとすれば、吸収側の企業の拡張として分類できる。あるいは、合併する双方の企業の管理構造の変化が非常に広範囲に及ぶため、新しい企業として分類するのが適切と考えられる場合には、そのように分類してもよいだろう。どちらの場合でも、企業は破綻したわけではないが姿を消している。新しい企業がつくられる場合もあれば、そうでない場合もある。

 この意味での生存は、企業の経済的な「生存能力」によるのと同様に、企業を取り巻く法的な枠組みによって決まることもある。多くの場合、破産や企業再編を規定する法律が、裁判所の判断とともに決定力をもつ。企業が広範囲に及ぶ金融上の取引先をもつ大企業である場合、裁判所は企業の存続を絶つことを避けようとする傾向があり、企業は何年もの間、支払い不能(「破産」)状態のままで運営されることもある。いかなる企業も経済上の制度であると同時に法律上の制度でもあることから、このような配慮は無視できない。それらは多くの企業の成長と規模にとって、実際上大いに重要である。しかし同時に、このような配慮は、若干の経済学者たちが試みてきたように、企業の存続を「比較原価」や環境に対する適応力の検証手段として用いることをきわめて難しくしてしまう。

 これらはいずれも、企業成長に関するどんな実証研究においても考慮されなければならない問題である。われわれの現在の目的にとっては、これ以上正確である必要はない。われわれが関心をもっている分析単位の性質と、その境界を定義するために実際に適用されるべき基準のいくつかを示すだけで十分である。この基準の適用に際して、個々のケースについての判断の必要性や、判断の結果生じる意見の相違を未然に防げるような何らかの「ルール」を設けることは難しいだろう。いずれにせよ、たいていの経済学の実証研究では、満足のいく定義を分析者が採用できるかどうかは、データの現れ方によって大きく制約され、分析者は通常、実際に測定したいことについて大まかな近似で済まさなければならない。したがって、1つの管理単位としての企業に関して、さらに抽象的な定義づけを施しても、ここでの役には立たないだろう。