目標を明確に設定することの効果は、あらゆる分野で強調されている。しかし、その「副作用」についてはどうだろうか――視野狭窄や倫理の欠如などだ。目標への執着を避けて物事を進める方法を、ブレグマンが提案する。
「ソフィア! ダニエル!」。ベッドルームでふざけている7歳の娘と5歳の息子に、私は大声で呼びかけた。「あと10分でスクールバスが来るよ。さあ、どっちが先に歯磨きを終えて、玄関まで来れるかな?」
2人はクスクス笑いながら、バスルームに突進した。2分後、ダニエルが歯磨きを終え飛び出してきた。僅差でソフィアが到着。してやったり。記録的なスピードで2人に歯磨きをさせ、玄関まで来させる、という私の「目標」は達成された。
いや、そうだろうか?
たしかに2人は、出発に間に合った。しかし、2分で歯磨きを終えたということは、つまりは丁寧に磨いていないということだ。フロスは使っていないに違いないし、洗面所はびしょ濡れだ。
誰もが目標設定の大切さを知っている。しかも、どんな目標でもいいわけじゃない。大事なのはストレッチした目標、つまりBHAG(Big Hairy Audacious Goals:簡単には達成できない大胆な目標)と呼ばれるものだ。
なるほど、どこに向かっているかがわからなければ、決してそこにたどり着くことはできない。ハードルを高く設定しなければ、決して潜在能力を最大限に発揮できないだろう。
これはビジネスの世界では自明のことで、調査によっても支持されている。たとえばハーバード・ビジネススクールの卒業生についての、こんな研究を聞いたことはないだろうか。卒業時にクラスの3%だけが、明確な目標を紙に書き記した。20年後、この3%は残りのクラス全員を合わせたよりも10倍の収入を得ていたという。
説得力のある実験結果だ。ただし、もしこれが本当なら――。この研究は存在しない。まったくの都市伝説にすぎないのだ(※訳注)。
この類のもっともらしい話は、あちこちにある。ストレッチした目標を設定する意義を疑うことは、ビジネスの根本そのものを疑うようなものだ。私たちはどの目標を、どんな方法で設定するかについて、よく議論する。しかし、目標設定そのものをすべきか否かについて議論する人がいるだろうか?
私は、ここでその議論をしたいと思う。といっても、目標自体に罪があるわけではない。目標を設定することで、多くの副作用が生じることが問題なのだ。
ハーバード・ビジネススクールのワーキング・ペーパー『目標を設定することの副作用(Goals Gone Wild)』の筆者らは、目標設定に関する多くの研究を検証した。その結論として、目標設定の利点は誇張されており、一方で「目標設定によって生じる一貫した悪影響」が無視されている、と指摘した(英文の記事要約はこちら )。副作用の一部の例として、「目標の範囲外に目を向けない視野狭窄、倫理に反する行動の促進、歪んだリスク選好、組織文化の弱体化、内発的動機の減退」などを挙げている。