ワーキング・ペーパーでは、次の2つの事例が紹介されている。

●シアーズは、自動車修理工の生産性を高めるため、1時間当たり147ドルの利益を上げよというゴールを設定した。これでモチベーションは高まったのだろうか? 答えはイエスだ。全社中の修理工たちが、顧客に水増し請求をするようになった。

●フォード・ピント事件を覚えているだろうか。この車は追突されると発火する(ガソリンタンクがバンパーに隣接しすぎていた)という欠陥を抱え、53人の死者と多数の負傷者を出した。これは、リー・アイアコッカが1970年に設定した大胆な目標――重量2000ポンド以下、価格2000ドル以下――を追求した結果、技術者が安全点検を怠ったからだ。

 次に、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された事例を紹介しよう(英文記事はこちら)。

●ニューヨーク・ジェッツのクォーターバックだったケン・オブライエンは、被インターセプト率(投げたパスを守備側にキャッチされること)が高かった。そこで、「被インターセプト率を下げよ」という一見しごく妥当な目標を課された。その際、パスが奪われるごとに罰金を科すという一項が契約に加えられた。その結果、被インターセプト率は下がった。しかしこれはパスの回数が減ったためにすぎず、総合的なパフォーマンスは低下した。

 目標を設定する結果生じる悪影響を、事前に予測するのは実質的に不可能である。

 具体的で測定可能な目標を、期限を明確にして設定せよ、と私たちは教えられる。しかし、こういった特徴こそが、目標が裏目に出る理由なのだ。具体的で測定可能で、期限が決まった目標は、行動を制限し、不正行為や近視眼的な行為を誘発する。私たちは目標を達成する時に、何かを犠牲にしていないだろうか。

 ここで、目標なしで何ができるかを考えてみよう。その場合でも、特にビジネスにおいては、成果をあげるために邁進しなくてはならない。方向を見定め、進捗を測定するための何かが必要だ。もしかすると、目標設定の悪しき副作用を回避しつつ成果をあげる、よい方法があるかもしれない。

 私からは1つの方法を提案したい。目標を特定する代わりに、「重点領域」を明確にするのだ。

 目標設定は、何を達成したいかを明確にするものだ。一方、重点領域を定めることは、どの行動に時間をかけたいかを明確にする。目標は結果であり、重点領域はプロセスであるともいえる。目標はあなたが目指す未来を示すものだが、重点領域はあなたを現在に集中させる。

 たとえば販売における目標は、収益ターゲットを示したり、新規顧客の獲得数を示したりする。オペレーションの目標であれば、コスト削減の金額を明示するかもしれない。