また、いまや就労人口に若い世代が入ってきましたが、彼らは生まれてこのかた、家庭でも学校でもヒエラルキーを体験したことがありません。彼らが馴染んでいるのは、オープンで実力主義のウェブ的な世界観です。
どんなアイデアも同じ土壌に立って競い合うべきで、上司が指図したからと言ってやみくもに従うわけではない。
ウェブの世界では、肩書きが物を言うのではなく、そこにどれだけ貢献しているかがフォロアーを勝ち取ります。そうした状況を見誤った重役が、ノキアやモトローラ、ソニーなど多くの企業にいました。
そうは言っても、大企業がすぐさま変化できるわけではありません。
トップダウン型の組織には、目に見えない多大なコストがかかっていることに気づくべきでしょう。
一つ目のコストは、戦略策定などの権限を上層部に集中させるため、一握りの重役がどのくらい変化を望んでいるかに組織の運命を賭けてしまうことです。
彼らは自分たちがかつて立てた戦略の門番ですから、みずからの知的資産の市場価値は下がったと認めて償却でもしない限り、考え方を変えることはありません。思い入れもあるでしょうから、なかなか手放せないのです。それが、ひいては組織の未来の可能性を見過ごすことにつながってしまう。

二つ目は、トップダウン型組織ではリーダーにふさわしくない人間がその地位に就いていることが多いという点です。トップに上り詰めるのは社内政治に長けた人間であり、他の社員が首にしたいと思ってもなかなかそうはできない。その分、本来なら発揮されたはずの社員のモチベーションが得られないのです。
三つ目のコストは、トップダウン型組織は封建主義や専制政治に似ているということです。たとえば、家や車といった大きな買い物を、ローンを組むなどして自分の判断で購入する個人が、いったん社員になると、許可がなければ椅子一つも買えません。つまり、組織では社員をまるで子ども扱いして、どんなに小さなことにも許可を得ることを強いているのです。
これについてはいろいろな研究がありますが、経済的裁量権を制限すると人々は自由を剥奪され、それによって自分からすすんで何かをやろうという気持ちが削がれ、パッションやクリエイティビティが縮まってしまうことがわかっています。つまり、過剰管理は大きなコストなのです。パッションに欠けた社員が顧客に対応すればどうなるでしょう。