こう考えていると、どうやって今後の半導体市況の動向を予測すればよいのか、その議論の出発点すらわからなくなってしまうかもしれない(図2)。

 そうしたときに、友人から聞いたこんなことを思い出したとしよう。

「台湾の株式市場は半導体銘柄のウェイトが高い。台湾の半導体メーカーの世界でのシェアは高く、台湾の株式市場の動向を見れば、ほぼ、世界の半導体市場の先行きがわかる」

 このとき、こう考えはしないだろうか(図3)。

「台湾の株式市場は今、大きく下落している。そして、日本の半導体メーカーのシェアは近年、台湾のメーカーに奪われている。半導体価格も下落している。となると、日本の半導体メーカーの業績見通しは暗く、半導体市況の先行きも暗い」

 この友人の発言を思い出した瞬間、最初に頭に浮かんでいた個別の企業名や各国の半導体、あるいはIT関連産業の動向は無視され、台湾の株式市場が日本の半導体メーカーの業績見通しを示しているという、実にシンプルな思考プロセスが構築されるのだ。

 このように、複雑な情報に取り囲まれた中で、頭の中に記憶されているデータやコメントなどをもとに、直感的に判断を行うこと、それがヒューリスティックの本質である。

◆情報の交通整理役、ヒューリスティック
 他にも、こうした直観的な判断を行うことは日常生活の中でもよくあることだ。たとえば、テレビのニュースで見かける街角での景気動向インタビューでは、「株価が下落しているから、景気は悪化するでしょうね」、あるいは「週末なのに銀座のような繁華街でもタクシーを使う人が少ないから、景気は冷え込んでいますね」といった受け答えを耳にすることは多い(もちろん、こうした街角の景況感を厳密に論証するためには、かなりの労力を必要とするが、不況下でのこうしたコメントは多かれ少なかれ、大きな経済の動向に一致していることが多い)。私たちは株価、あるいはタクシー利用者という、自分の頭の中に残っているデータや仕事の経験をもとに回答を導き出しているのだ。

 私たちは、テレビやインターネットを通して、ありとあらゆる情報に囲まれて日々の生活を営んでいる。そしてその時々で、さまざまな判断を行っている。だがその時々で、関連するすべての詳細な情報を整理した上で決断を下そうとすると、コンピューターのようなずば抜けた能力がなければ困難だ。しかも多くの場合、限られた時間の中で、とっさの判断や意思決定を求められていることが多い。そのため、事細かに情報を吟味している余裕もない。裏返していえば、取捨選択により、判断や意思決定の対象を大づかみに捕まえていても事足りるわけだ(図4)。