心理学者のキンバリー・ウィーバー、スティーブン・ガルシア、ノーバート・シュワルツらは2011年に、一連の鮮やかな研究で「プレゼンターのパラドックス」を例証してみせた(英語の論文はこちら)。
たとえば、被験者に〈iPod Touch〉のパッケージを2種類提示し、1つはiPodとカバー、そして音楽を1曲無料でダウンロードできる特典を付けたもの、もう1つはiPodとカバーだけのものとした。被験者らが示した支払い意思額の平均は、ダウンロード付きのパッケージで177ドル、ダウンロードなしのパッケージで242ドルだった。つまり、価値の低い無料楽曲ダウンロードを付け加えたために、パッケージの知覚価値がなんと65ドルも下がったのである。しかも厄介なことに、別の被験者グループにマーケティング担当者を演じてもらい、この2つのパッケージのうち「どちらが消費者にとって魅力的だと思うか」と尋ねたところ、被験者の92%が無料ダウンロード付きのパッケージを選んだという。
提供者の立場に立つと「多いに越したことはない」と思うのに、消費者の立場ではそうではない。私たちは誰でも、日常生活のなかで提供者にも消費者にもなる。にもかかわらず、両方の認識を関連づけることができないのである。
悪い行いを防ぐために罰を与えたり抑止策を講じたりする場合も、似たようなパターンが顕れる。別の研究では、ゴミの不法投棄に対する処罰を2種類設定して、被験者(罰を与える側)にいずれか一方を選んでもらった。1つは750ドルの罰金と2時間の社会奉仕活動、もう1つは750ドルの罰金のみである。被験者の86%が罰金と奉仕活動のほうが重い罰になるだろうと考えた。しかしそれは間違っていた――罰を受ける側の被験者グループは、750ドルの罰金と2時間の社会奉仕活動を、罰金だけよりもかなり軽い処罰だと評価したのである。ここでも、2時間の社会奉仕活動が厳しい罰ではないため、処罰の全体的な厳しさは平均して低いと見なされたのだ。
提供や売り込みにまつわるバイアスがこうも蔓延しているのであれば、私たちはどうすれば過ちを避けられるのだろう? ひとことで言えば、何かを売り込む時には、常に全体像を考慮すること。「自分が提示しようとしているパッケージは、全体として、どのように受け取られるだろうか? パッケージの全体的な価値やインパクトを減らしている要素はないだろうか?」
10点が3つと2点が1つという組み合わせは、10点が3つよりも劣る。新車の販売に無料洗車サービスを付けても、車の価値を高めることにはならない。高級ホテルの高額の部屋であれば、オーシャンビュー、シルクのシーツ、ジャグジー完備まではいいが、クローゼットのアイロン台やコーヒーポットのことは言わないでおこう。そして、スペイン語が本当に上手でないのなら、ocho(8)まで数えられたり、la biblioteca(図書館)はどこかと尋ねたりできたとしても、それは自分の胸にしまっておいたほうが得策だ。
HBR.ORG原文:The Presentation Mistake You Don’t Know You’re Making October 23, 2012
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