「論文を通すこと、それ以外に価値はない」
琴坂 ただもちろん、少しずつですが、とくに欧米では両者のコラボレーションは進んできているかもしれないですね。一方では、定量的な検証を統計的に行ったり、エレガントな数式モデリングで数字的な解釈を行ったりする研究がある。他方では、そうした方法では表せないこと、取りこぼしてしまうことをリッチネスのある定性的な調査で調べこんでいく研究があります。
簡単にいえば、後者が現実を探求することからプロポジション、定理とか命題を提示して、それを前者が定量的に検証して、その検証結果が次第に一般化された数式で表されていくという流れです。
入山 たしかに、それは欧米では結構始まっているよね。

立命館大学経営学部 国際経営学科 准教授
慶應義塾大学環境情報学部卒業。在学時には、小売・ITの領域において3社を起業、4年間にわたり経営に携わる。 大学卒業後、2004年から、マッキンゼー・アンド・カンパニーの東京およびフランクフルト支社に在籍。北欧、西欧、中東、アジアの9ヵ国において新規事業、経営戦略策定のプロジェクトに関わる。ハイテク、消費財、食品、エネルギー、物流、官公庁など多様な事業領域における国際経営の知見を広め、世界60ヵ国・200都市以上を訪れた。
2008年に同社退職後、オックスフォード大学大学院経営学研究科に進学し、2009年に優等修士号(経営研究)を取得。大学の助手を務めると同時に、国際経営論の研究を進める。在籍中は、非常勤のコンサルティングに関わりながら、ヨットセーリングの大学代表選手に選出されるなど、研究・教育以外にも精力的に活動した。2013年に博士号(経営学)を取得し、同年に現職。専門は国際化戦略。
著書に『領域を超える経営学』、共編著に『マッキンゼー ITの本質』(以上、ダイヤモンド社)、分担著に『East Asian Capitalism』(オックスフォード大学出版局)などがある。
琴坂 実際、このコラボレーションが進化していけるかが、この学問体系が前に進めるかのキーだと思います。
入山 でも、難しいよね。人間の能力には限界があるので、両方できる人はなかなかいない。経営学の難しいところは、僕もそうだけど、いろいろなものが統一化されていない。基礎ディシプリンにも経済学、心理学、社会学があって、経済学ディシプリンにはまると社会学ディシプリンにあまり関心を持てないし、社会学ディシプリンにはまったからアンチ経済学ディシプリンになる人はたくさんいるよね。
方法にしても、統計分析ばかりをやっていると「ケース・スタディは科学ではない」となるし、逆にケース・スタディばかりやる人は「統計分析のように抽象化された平均で企業は分析できない」となる。結局、一番いいのは、それらすべてを一人の研究者ができることだけど、それは不可能でしょ。
琴坂 ディシプリンの軸、方法論の軸もありますが、何を見ているのかという軸もあります。マーケティングなのか、会計なのか、という違う軸も。
入山 たしかに、それもあるね。
琴坂 ある種、サイロのようになっています。本質的に経営とは何か、戦略とは何かを考えたとき、とくに戦略の場合はすべてがパッケージされていて、本質的にはすべてを理解しなければ真理が見えにくい可能性もあるけど、現実的にそれは一人の人間にはできない。
入山 そうだね。
琴坂 統合するレベルにたどり着きたいですよね。こういう分野間、方法間、ディシプリン間のコミュニケーションをどう促進すればいいかを考えているんですけど、この世界で生き残っていくゲームのルールはそれを推奨していない気がします。それに成功すれば言うことありませんが、成功確率は低くて、そこに自分のキャリアをかけることは難しい。入山さんはどうお考えですか?
入山 僕のピッツバーグ大学時代の指導教官はそれをよくわかっている人だったなあ。パブリケーションはそんなに多くないけどね。
琴坂 私が日本に帰ってきた理由は、家庭の事情もありますが、そういうチャレンジングなことをやりたいなと思ったからでもあります。分野をまたぐような挑戦をする人が、とくに若手では誰もいない。いたとしても埋もれてしまっているのかなと思います。
入山 そうだろうね。まあでも、それは業績を上げてからやれという話なのかもね。業績主義はそれで問題もあるけど、でも研究業績のある人の発言力が強いのは、「それもありかな」という気持ちが僕にはある。たぶんアメリカのほうがガツガツしているのかな。とにかく業績を上げないと意味がない。論文を通すこと、それ以外に価値はないという感じだった。
琴坂 ヨーロッパもかなりそういう方向にはなっていますね。論文を通すこと、それがないのであれば研究者ではないという理系の研究者の常識が、ヨーロッパでも文系の研究者の間で広がってきているイメージがあります。
入山 査読論文で学者のすべての価値が決まるのがいいか悪いかわからないけど、それ以外の方法がないんだよね。本質的な問題意識があってそれが重要なことでも、それを言うのが博士課程の学生だとしたら、説得性がない。一番いいのは、業績を上げた人がそれを言うことだと思う。
琴坂 そうですね。ただ、この業績というのが難しい。イギリスの大学評価機構の設計に関わった教員がオックフォードにもいました。彼の問題意識は、論文のパブリケーション以外の要素をどう評価するのか、です。たとえば、経営者にインパクトを与えているけど査読論文はない人、あるいは教科書や一般書籍で影響を与えてはいるけど査読論文はない人、彼らをどう評価すべきなのか。
本来、学問とはさまざまな活動の集合体で、それをキープすることも、広げることも、研鑽することも大切です。いまの価値判断基準は研鑽に集中しているのではないか、というのが彼の問題意識で、私も彼の考えに同意しています。