自分の責任を認める意思が強い人は、失敗からより多くを学べる。ただし、そもそも責任の所在が曖昧である場合、個人の意図や能力とは関係なく学習が困難になるという。失敗に関するハーバード・ビジネススクールの興味深い研究報告を紹介する。
あなたは失敗を犯した時、どんな場合に責任を他者に押し付けるだろうか。また自分で責任を取るのはどんな時だろうか。最新の研究では、ほとんどの人は他のせいにできない状況になって、ようやく失敗を認めるという結果が示されている。しかし責任逃れをすれば、私たちは失敗から学べなくなるのだ。
最近のハーバード・ビジネススクールの研究報告書の中で、クリストファー・G・マイヤーズ、ブラッドリー・R・スターツ、フランチェスカ・ジーノは、「責任の曖昧さ」という現象について明らかにしている(英語報告書)。それは私たちがいつ失敗から学び、いつ学ばないかを決定づける大きな要因になるという。
具体的に説明しよう。私たちは失敗すると、報告書の筆者らが言う「責任の帰属――つまり結果責任を自分自身で負うか、または周囲の状況のせいにするか」を自分に問いかけて明らかにする。研究によると、失敗の責任を自分で負える人は、そうでない人よりも失敗から学ぶ確率が高く、失敗の後はさらに努力するという。
しかし、失敗の責任が自分にあるのかはっきりしない場合は、「失敗を自分に関連づけにくくなり、したがって失敗から学ぶ確率も低くなる」とマイヤーズは述べる。さらに重要な点として、結果に大きな責任を負う立場にある人にも同じことが当てはまるという。ジーノとスターツは別の研究報告の中で、「外科医は自分の成功や他人の失敗からは多くを学べても、自分の失敗から学ぶことが少ない。これはおそらく、悪い手術結果に伴う曖昧さが原因だと考えられる」としている(英語報告書)。つまり、外科医は手術の結果に責任を負う立場にあるが、外科医自身がその原因かどうか明らかではない。予期せぬ合併症や、手術以外の治療ミスなどの可能性もあるからだ。
重要なのは、たとえ失敗から学ぼうという姿勢があっても、「責任の曖昧さ」によってそのよき意図が損なわれるおそれがあることだ。
これらの結論は、マイヤーズらがボランティアの協力を得ていくつかの実験を行った結果導き出されたものだ。ある実験では、これから開催されるレースに、ある車を出場させるかどうかを被験者に決めさせた。これは、NASAがチャレンジャー(1986年に爆発事故を起こしたスペースシャトル)の打ち上げの可否を検討した状況に忠実に基づいた実験だった。ある重要な情報――ガスケットに99.99%の確率で欠陥がある可能性――を被験者に直接は伝えず、その情報が得られるウェブサイトのリンクのみを説明書類の中に記載したのだ。その後、同じ被験者グループに別の実験を行い、潜在的なテロリストを特定するよう指示した。その際、追加情報はeメールで入手できるようにした。
最初の実験で、失敗の責任を自分に帰した人――「時間をじっくり割いてすべての情報を読むことをしなかった。最初に提示された情報のみに基づき、急いで結論を出してしまった」と認めた被験者は、次の架空のテロリストを特定する実験では成功する確率が高かった。一方、結果的に事故を招く決断を下した原因を外部要因に求めた人――「重要な情報が抜けているのだから、問題が何であれ、正しい意思決定を求めるのは酷だ」とした被験者は、テロリスト特定の実験で成功する確率が低かった。