女性役員の比率を増やすなど、人材の多様性の議論が盛んである。社会がますます変化する時代に組織の多様性が不可欠である。そして、人材の多様性が揃うと必要になるのが、多様な意見を収束させる技術である。

 

多様な意見が多様なままでいい場合と
一つにまとめる必要がある場合

 多様性の重要性は理解できていても、それを実践するのは難しいと痛感しています。それは役員の女性比率を増やすといった人数構成のバランスを取るという次元のことではなく、多様な人が集まり、多様な意見を収束させることの難しさです。

 多様な人が集まると多様な価値観から多様な意見が出ます。ビートルズを好きな人は多いでしょうが、先日ある飲み会で「ビートルズの中で一番好きな曲は何?」と聞くと、それぞれが別の曲を上げました。同じ時代を過ごす同じ日本人、しかも無数にある仕事のなかで同じような仕事を選んだ者というまったく多様性のない人の集まりでも、これだけ意見は異なります。

 世の中の議論には、多様な意見を多様なまま存在させておくことがよいものと、多様な議論を最終的には一つの議論に集約しなければいけないものがあります。前者の代表として芸術があります。人それぞれの好みと表現があり、その違いこそが価値がある。ある人にとっては心地よいものであっても、ある人にとっては嫌悪感のあるものに映ることもある。それさえも、多様な見方として容認しあえる余地が大きい分野です。

 逆に一つに収れんさせなければならないのが、組織の意思決定です。宣伝広告の表現はクリエイティブな要素ですが、多様な意見があり、「これもいいね」「あれもいいね」となっても、最後には「どの表現をするか」を決めなくてはいけません。多様な意見が集まれば集まるほど、収れんのプロセスが困難になります。

 多様性の逆の概念は、一様性です。みなの意見が一様であれば、組織の意思決定は、非常に迅速にできるでしょう。いまやあらゆる分野で意思決定の迅速化が求められているので、それには大変効果的ですが、迅速化よりも意思決定による結果の方がはるかに大事ですから、意思決定を早めることだけを議論してしまうとナンセンスです。

 企業、あるいは行政や政治レベルでも人材の多様性が議論されていますが、人数構成のバランスが取れたとしても、多様な議論を収れんさせる技術が欠けていると、多様な人材を揃えた目的が達成できません。