●自分の失敗談を持つ
しばらく前に私はある記事で、米金融市場の某関係者について書き、金融危機の最中に彼が起訴され、その後免罪となったことに言及した。すると彼の妻から、「なぜあのことに触れる必要があったのか」と怒りの手紙を受け取った。彼はそのエピソードについて、彼自身の著作の中で触れていた(実際そこは、全編を通じて最も思慮に富み、興味を引く部分になっている)。したがって当然ながら、ご夫妻がそのことを今なお内密にしておこうと心を砕いているとは、私には思いもよらなかった。習慣とは――自分を完璧に見せたいというこだわりを含め――断ち切りにくいものなのだ。
だからこそ、失敗について話すと多くの注意を引く。勝者のストーリーが期待される世の中では、失敗談は今なお衝撃的なのだ。ブロガーのジェームズ・アルタチャーは、仕事と人生における失敗を(大儲けした後にすべてを失った2度の経験を含め)嫌というほど詳しく書き記し、熱烈な支持を得た(英語ブログ)。ファンドマネジャーのガイ・スピアーは著書The Education of a Value Investorの中で、ビジネススクールを卒業して最初に就職した投資銀行が、倫理的な問題を起こし倒産した時のエピソードを語っている。スピアーは不正行為には関与しなかったとはいえ、履歴書に残った汚点によって面目を失ったように感じ、自身の騙されやすさに向き合っている(スピアーはウォーレン・バフェットと昼食を共にするために65万100ドルを払った投資家として知られる)。
スピアーやアルタチャーの失敗からその人物を判断する人もいるかもしれない。だが彼ら自身の語る失敗談のおかげで、私たちは彼らの目で世界を見て、彼らが全力で晴らした雪辱について知ることができる(アルタチャーは今や著述者として大成功を収めている。スピアーは1997年以降、自身の投資ファンドを運営しウォーレン・バフェット流の慎重な投資原則を守っている)。
●失敗とは継続的なプロセスであることを理解する
失敗は「1回で済む」現象ではないと認識することが重要だ。山道を登っていればやがて頂上にたどり着くのとは違い、それはどこまでも続くプロセスである。私は今春、申請していた2つの異なるフェローシップを同じ日に断られた。だからと言って、私が成功していないわけではない。他の評価基準においては――著述、講演、コンサルティング、そしてビジネススクールでの指導は――うまくやっている。達成できるレベルよりも少し高めの「ストレッチした目標」とは、まさにそういうものだ。つまり得意分野ではない物事は、うまくいく時もあればいかない時もある。研究が示すように、目指すべきは「これまでとは違う新しい失敗」だ。そして他の人々にもっと安心して挑戦してほしいと望むのであれば、自分の失敗をはるか昔に起きたこととしてではなく、現在形で話す必要がある。
私たちは皆、「失敗した」起業家にまつわる魅力的な逆転のサクセス・ストーリーをこよなく愛する。たとえばケビン・シストロムが開発した位置情報によるチェックイン・アプリのバーブン(Burbn)は、成功しなかった。これを捨てて写真共有アプリへと方向転換した彼は、インスタグラムで捲土重来を果たしフェイスブックに10億ドルで買収された。ベン・シルバーマンが共同創設した写真共有サイトのピンタレストは、元をたどればトートというモバイル・ショッピングサイトとして誕生したが、これはうまくいかなかった(英語記事)。
失敗は成功の素だが、それは最終的にエグジットで儲かる可能性があるからではない。人は完璧である必要はない、ということを示す会話のきっかけとなるからだ。実際、私たちは完璧にはなれない。胸襟を開いて正直に話し、ありのままの自分を知ってもらえば、失敗や過ちは正しく理解される。だから恐れずに認めよう。人がもし成長しているのであれば、失敗は異常なことではない。それは毎日起きるものなのだ。
HBR.ORG原文:Stop Believing That You Have to Be Perfect October 8, 2014
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ドリー・クラーク(Dorie Clark)
マーケティング戦略のコンサルタント、講演家。クライアントにはグーグル、イェール大学、マイクロソフト、世界銀行などが名を連ねる。デューク大学フュークア・スクール・オブ・ビジネスの非常勤教授も務める。著書にReinventing Youがある。