ITを利用した学習ツールの登場によって、日本の教育現場が足元から大きく変わろうとしている。その一つの動きが、オンラインで誰でも無料の講義を受けられる「MOOC(ムーク)」の登場だ。日本初のMOOCである「gacco(ガッコ)」代表を務める伊能(いよく)美和子氏と、その運営母体であるNTTドコモとの提携を発表した、クラウド上にノートや画像等を保存できるサービス「Evernote」日本法人会長の外村仁氏が、押し寄せる教育現場の変化の波を語った。

ノートの共有が学習の可能性を広げる

伊能 2014年4月に開校した「gacco」は、1年足らずで登録者が11万人を超えました。それも、単に著名な先生の講義を動画配信するだけではなく、オンライン上で受講者同士が意見を交わし合う掲示板の機能があったからだと思います。受講者同士が建設的な議論を行ったために、結果として良いコミュニティをつくることにつながりました。

 すると、意外なことが起きました。自身の意見を言うだけには飽き足らず、自分のノートやレポートを画像にして、掲示板にアップする人が現れはじめたのです。ここで何かできないのかとエバーノートさんに相談を持ちかけたのが、提携のきっかけでしたね。

外村 ええ。そもそも、「Evernote」を使えば、オンライン上の「白紙」に文字を書き込めて、クラウド上に保存できます。また、後から中身を検索することも簡単にできます。もちろん、文字だけはありません。画像やイラスト、地図をつけ、マーカーで色を塗ることもできます。しかも、そのノートのURLをLineやメールに張り付けることで、簡単に仲間と共有できる。共有するのに追加のエネルギーがいらず、gaccoとの相性の良さを感じました。

伊能 gaccoの利用者は学生からお年寄りまで幅広く、ある種、「アナログの勉強好きの集まり」といってもよいかと思います。そのような利用者にとっては、目の前にオンラインの「ノート」が現れて、さらに共有までできるわけですから、目からうろこの体験につながったのです。

外村 仁(ほかむら・ひとし)
エバーノート 日本法人会長
1963年、熊本県生まれ。東京大学工学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーを経て、1992年よりアップルコンピュータへ。同社マーケティング本部長等を歴任した後、スイス国際経営大学院(IMD)でMBAを取得。2000年にシリコンバレーでGeneric Mediaを共同創業。その後はスタートアップ・アドバイザーとして活躍し、2010年より現職。シリコンバレー日本人起業家ネットワーク(SVJEN)の初代代表。Open Network Labのメンターも務める。

外村 Evernoteの利用者にとっても新しい発見につながりました。gaccoという学習する場で活用できることを知り、「こういった使い方を知りたかったんだ」と喜ぶ人がたくさんいます。もともと、情報の整理整頓が好きで、学ぶ意欲の高い利用者層という共通点がありました。

 共有するということによって、新しい解決法の発見にもつながることでしょう。他者とノートを共有すれば、一人だと思いもつかなかったことが見えてきます。自分のノートでも、統計学やITなどとさまざまなジャンルのものを並べることで、それぞれで得た知識の固まりというべきものが「串刺し」となり、思ってもいなかったような発想や解決策につながっていくのではないでしょうか。ほかにも、複数の仲間うちで「ワークチャット」を使いながらノートを作り上げていくことで、それまでにない学習が可能になると思います。

伊能 集合知という考え方ですね。こうした変化について、コンピュータにお詳しい外村さんは、どのように感じていますか。

外村 それまでは、コンピュータの能力に制約がありました。ノート一つを作るにしても定型のフォーマットがあり、長さや容量が決まっていた。きれいに見せるためにはイラストレーターを立ち上げて絵を描く、などと手間をかけなければなりませんでした。これではノートを見せるのに相当な時間がかかり、共有するメリットもありません。

 それが、iPhoneやiPadが登場してクラウド・コンピューティングが発達し、高速の通信ネットワークも整備されたことで、こうした制約が取り払われてきたのです。チャットツールもありますから、簡単にノートを共有したり、ノートを見せ合って話し合ったりすることができる。作業で手を動かすことから、新しい価値を生むために頭を働かせることへと、エネルギーを振り向けられるようになったのです。

伊能 その点でいえば、IT化の波が教育現場を変え始めました。たとえば大学のなかには、「紙を捨てる」という先生も出てきています。グループのワークッショプをオンライン上でやり取りする。すると、コピーして配ったり、用紙を回収したりする手間が省け、課題の管理も楽になるのです。

IT化で広がる「反転授業」

外村 そもそも、先生が教壇に上がって生徒に向かって講義をするというやり方自体、10年後にはなくなっているかもしれませんね。「1対多数」で一方向に話す部分は、動画を見せるのと変わらないわけですから。

伊能 ええ、実際、米国ではマサチューセッツ工科大学(MIT)の授業を“借りる”動きが起きています。他の州立大学がMITの授業をオンラインで見せて、その後、内容の理解を深めるための補講を行っているのです。日本でも我々のサービスを通じて、慶應義塾大学の授業を東京工科大学の学生が受けるという取り組みが始まっています。

外村 それは「反転授業」というものですね。

伊能 はい。講義を受けて課題を家でやるのではなく、予習として講義の動画を見てから、演習や課題を授業で行うのです。もともとは、米国の高校の先生が、休んだ生徒のために録画した講義を見せて、後から補講をするというところから始まったと言われています。gaccoでも反転授業を行っていますが、実際、学習の効果は出ていますね。オンラインで同じ講義を受けた人がリアルの教室に集まり、年齢を超えて対等に議論する光景があるほどです。

外村 もっとも米国では、教師の社会的地位が日本ほど高くないということもあり、よい先生が限られています。さらに、同じ教室内でもグループ分けして、進度別に少しづつ違うことをやらせています。先生がぐるぐると回って各グループの理解を助けるという授業形態が浸透しているので、反転授業が受け入れられやすい環境だったとも言えると思います。