売り手市場といわれる今年の就職戦線だが、学生は相変わらずお揃いのリクルートスタイルを身にまとう。個性を尊重すると公言する企業に、なぜ学生は没個性のスタイルで挑むのか。
学生は「こだわって」あのリクルートスタイルを身に着けている?
オフィス街にリクルート姿の学生が目につく季節となりました。就職協定による選考活動の開始は8月1日となっていますが、実質的には企業の採用活動と学生の就職活動はすでに動き出しているようです。
学生がスーツを着ていても一目でそれと分かるのは、同じフォーマットだからでしょう。スーツの色、シャツやネクタイのデザイン、髪型や持ち歩くカバンにも共通のプロトコルを感じます。多くの学生の中から選ばれる過程で、どの学生も自らの個性を消すかのように、同じに見えます。
いま企業が採用したい人材の条件は明らかに変わってきました。欧米に追い付け追い越せの時代には、目標もそこへの到達プロセスも明確で、それをきちんと遂行できる人材が求められました。しかし、デジタル化とネットワーク化の進展は、既存の競争ルールが塗り替えました。どの企業も前例のない、新しい試みに挑戦しない限り、成長は見込めない時代。そこで必要とされる人材は既存の枠組みを壊す、答のない問いに果敢に挑戦する人です。
企業もそのことは百も承知で、「企業を変える人」「既存の枠に囚われない発想のできる人」など変革人材を求める趣旨の文言を書いています。
それなのに、その募集要項に応募する学生側の個性のなさはどう解釈したらいいのでしょうか。企業は外見の凡庸さに関わらず、内面をきちんと見ているのでしょうか。学生も、内面を見てもらっている安心感があるから、外見にこだわっていないのでしょうか。いや、学生のリクルートスタイルは、こだわっていないから同質化しているのではなく、きちんと情報を集めて「間違いのない」スタイルに整えてきているのです。ある意味、「こだわって」あのスタイルになっている。変革人材を求める企業に応募する学生の標準化された服装。この「ちぐはぐさ」の裏には企業のホンネとタテマエが見え隠れします。