1つの企業が、「プラットフォーム」と「編集力・発言力を持つパブリッシャー」の両方を兼ねることはできるのか。本記事の筆者は、継続は難しいと主張する。キックスターターなどの事例から、規模拡大とコンテンツ管理の両立の難しさを考える。

 

 デジタルの破壊的変化が進むなか、新興メディアは規模拡大と地位確立を追求し、オールドメディアは新たなビジネスモデルを模索している。

 メディア企業の新たなビジネスモデルとして、テクノロジー業界で確立された「プラットフォーム」がある。プラットフォームはその拡張性ゆえに膨大な数のオーディエンスに対応でき、大きな儲けも見込めるため、既存のメディア企業(一般に「パブリッシャー」と呼ばれる)もこのモデルに惹きつけられている。一方、多くのパブリッシャーが持つ確固たるブランド・アイデンティティは、プラットフォームにとっては羨望の種だ。

 こうしたわけで、パブリッシャーもプラットフォームも、互いのモデルを自社のモデルに組み合わせるという実験をしている。しかし2つを長期的に両立させていくことは、はたして可能なのだろうか。

 一般的に、パブリッシャーは編集上の判断を有するものとされ、プラットフォームにはそれがないとされている。この観点から見れば、『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌、『アトランティック』誌、『ニューヨーク・タイムズ』紙は典型的なパブリッシャーだ。その掲載コンテンツは高度に編集されており、編集者が作成に多くの時間を投じている。一方、グーグルやフェイスブック、ツイッターはプラットフォームの典型だ。第三者によるコンテンツを、編集上の管理をあまりしないまま流している。ただしこれらの違いは主に文化的なものだ。技術的には、パブリッシャーがプラットフォームに似た要素を取り入れることはさほど難しくないし、その逆もまたしかりである。

 新たなビジネスモデルを模索するパブリッシャーは多くの場合、ユーザー作成コンテンツの投稿を可能にすることで、プラットフォームの色合いを強めたいと望む。それらの「追加」コンテンツに広告を載せて売ることで、収益増を期待しているのだ。また、自社のコンテンツを他社にライセンスして配信してもらうためのコンテンツ管理システムを作ろうと望むパブリッシャーもある。

 他方、自社のプラットフォームの差別化を目指すテクノロジー企業は、パブリッシャーの有する発言力と影響力に惹かれている。加えて、プラットフォームそのものだけでなく自前のコンテンツも持てれば、より多くの価値を獲得できると考えている。

 そこで2014年の初めに、新興SNSスリアのCEOジョナサン・グリックが、デジタルメディアにおける「プラットフォームとパブリッシャーの融合」を言い表すために「プラッティシャー(platisher)」という語呂が悪い用語を生み出した。編集しテーマに沿ったコンテンツを載せるメディアになること、そしてユーザーにとってのコンテンツ作成ツールにもなること――この両方を目指す企業がプラッティシャーだ。