本連載では、米国でDean of Deans(ディーンの中のディーン)と呼ばれたケロッグ経営大学院の名ディーン、ドン・ジェイコブスを紹介するとともに、ケロッグ校の改革の軌跡を追う。そのダイナミックな施策から日本のビジネススクールが学ぶべきこと、そして一人の教育者の生き様から学ぶべきことを示したい(写真:© 2015 H&K Global Connections Inc.)

 

伝説のディーン、コトラーを招聘する

 ドン・ジェイコブス氏(現在は名誉ディーン)は一言で言えば1975年から26年間ケロッグのディーンを務め、ケロッグ・スクールを世界トップスクールに押し上げた功労者である。なお、ディーンとは日本語に訳すと「学部長」となるが、米国の総合大学は日本のそれとは異なり、分野ごとのスクールに分かれ、それぞれが学部や大学院、エグゼクティブエデュケーションのプログラム等を持つという構造をなす。ディーンとは、そのスクールの長で、日本で言う学部長や研究科長とは厳密には異なるためカタカナ表記でディーンと示すことにする。

 さて、1970年代にはトップ10に入るか入らないかだったノースウェスタン大学ケロッグ校(ケロッグを名乗るのは1979年)は 、1985年、『ウォールストリートジャーナル』のランキングで初めて1位に輝いた。その後1988年より隔年で実施されている『ビジネスウィーク』のランキングでは、ジェイコブス在任中に行われた7回のうち、1位が3回、2位が3回、3位が1回であった。

 同一のランキングで30年40年と辿れるものがないため厳密なことは言えないが、ジェイコブスが在任中の26年のうちにトップスクールに押し上げたという形容は間違っていないだろう。また、実績が上がっていたからこそ26年にもわたってディーンとして君臨し続けたとも言える。

 さて、もともとは経済学を専攻し、コロンビア大学で博士号を取得したジェイコブスは1957年にノースウェスタン大学のビジネススクールにファイナンスの教員として奉職している。その頃、ハーバード大学の各分野の社会科学者の俊英に数学を教える1年間のプログラムに参加したジェイコブスは、そこでコトラーと出会い、のちにコトラーをケロッグに招聘している。

 ジェイコブスは専門のファイナンス分野では、下院の銀行通貨委員会や財政構造と規制に関する大統領委員会等の政府の仕事もしつつ、前任者のジョン・バー(1965〜1975)時代の改革を支え、1975年より第10代のディーンに就任する。本連載で詳述するが、経済学ベースのファイナンスの教授だったジェイコブスが結果的に行った大改革は、マーケティングと組織行動論的なイノベーションだった。