そのとき、筆者は日本の常識が世界に通じないことに強い衝撃を受けた。日本では人事部が社内の従業員の評価を積み上げ、適性を検討しながら配属や昇進に活用し、優秀な従業員とそうでない社員をラベル付けする必然性がある。なぜなら年功序列で能力以下の仕事についている多くの従業員にラベルを貼って、「時が来れば第一選抜で出世させねば」と考えるからであり、また重要な事業部に優先的に配属するためにラベルが必要なのである。もし年功序列で有能な人材を待たせることなく、すぐに能力に応じて抜擢するなら、ラベル付けは不要となるはずだ。
あるイギリス人パートナーは、「このようなやり方を見たことがある。イギリスでは軍隊の将校を評価する時には、年代ごとにだれが最も輝いているかを見る」と言った。その評価は「人間力の評価」に近いもので、「苦境にある時に勇気を持って難しい決断を行い、実行する腹を持っているかどうか」ということだった。筆者は、この基準は戦前の日本の軍隊が重視した兵学校の卒業席次(ハンモックナンバー)よりも有効で、本質的だと思った。同時に、この評価システムは、組織全体では無理でも、組織内の一部のエリート(リーダー層)を扱う時には有効だと感じた。
日本企業では、「終身雇用、年功序列、企業内組合」という「三種の神器」とともに、さまざまな日本的経営の常識があり、世界から見ると普遍性を持たない不合理な仕組みと見られた。組織や人材は、事業を進めるために必要最小限のポジションと人材に絞り、それを常に新陳代謝させないと競争力がないと考えるからだ。
日本的経営の成立

日本的経営はいつから成立したのだろうか。現役のビジネスパーソンから見ても、すでに引退した方から見ても、「日本的経営はもとからあった」という印象である。しかしそれは違う。戦前は日本の大企業も家族企業も、政府の影響を除けば皆資本主義の原理に従っており、オーナー経営者は全権をもち、大企業では大学卒のエリートが財閥本社に雇われ、個別事業に送り込まれて経営を行っていた。事業部で採用された事務職員や工場労働者はいわば身分が異なった。コンセンサス経営ではなく、経営者・管理者のリーダーシップが強かった。
戦後になって米国占領軍(GHQ)が、当初日本の再軍備の元となる経済力を潰そうと、「財閥解体、企業の分割、戦争協力者のパージ、軍事力につながる産業の解体」などを進めた。またリベラルな立場を強め、「投獄されていた左翼を解放し、農地を解放し、民主主義の概念」を普及させた。その後冷戦が始まり、朝鮮戦争が勃発し、逆に「共産圏に対する重要な防波堤」として日本を位置付けた。「逆コース」と呼ばれる諸施策、例えば分割された企業の再結集、戦争協力者が解放され、逆にレッドパージなどが起こる。戦後日本に浸透した民主主義の影響は強く、企業内でも平等意識が高まり、従業員主権となった。有能な経営陣がパージされたため、急激な若返りが進み「三等重役」と呼ばれ、企業内民主主義ともいうべき、「シングルステータスポリシー」(経営管理者、ホワイトカラーワーカー、ブルカラーワーカーを可能な限り同一視して、扱おうとする仕組み)が成立する。これは例えば高校入社で5年目の人を大卒の一年目に並べるということである。