敗戦当初は左翼系の戦闘的な組合が多かったが、不都合なので企業内組合(いわゆる第二組合)が取って代わる。マルクス主義では生産性の向上は全て労働者の貢献だと考えるため、「生産性を上げてその成果を労資で分かち合う」ことは、資本家による搾取だと位置付けられた。一方、第二組合は企業と運命共同体であり、生産性向上、品質管理等に関しても協力的であり、ストもしなかった。この「協力の対価」が「厳しい時でも雇用は守る」という心理的約束であり、その後長く続いた。
日本的経営の必然性の欠如
歴史を見ると、日本の戦後の環境条件により、日本的経営と呼ばれる諸制度が成立したことがわかる。最初は「こんなものありえない」と、否定していたアメリカ人専門家も、日本企業の成長を見て「日本的経営こそ、日本企業の成功要因だ」と言うようになる。高度成長期には、組織はピラミッド型で、皆が頑張れば報いられ、「偶然の成功」がしばらく継続した。しかし新卒で雇った人をいつまでも維持しつつ事業を行う仕組みは、環境変化が起これば破綻するはずだ。
しかし、不可逆なこともある。一度企業内組合化すると、リストラで雇用維持の約束が破られても、手が打てない。従って経営者への対抗勢力たる組合に戻る可能性はないに等しい。
終身雇用へのこだわりは現在、「利益が出ている限り雇用に手をつけにくい」という状況に現れている。アメリカでは、利益が出ていてもリストラをして利益を増やすことが当たり前で、成功すれば経営者の報酬が増える。日本ではそうやって株主に報いても評価されない。以前と異なり、会社全体としては黒字でも、赤字部門には手を付けるようになったし、黒字であっても、黒字の幅が足りない(ROEが低すぎる)という批判が行われるようになった。資本主義の基本中の基本が、今まで軽視されてきたのだ。
年功序列についても、変化は遅い。実力主義が叫ばれても、成果主義が流行っても、本音のところでは大きな変化は嫌われてきた。できる限り社員全体が自分の人生を予測でき、頑張れば報いられるという幻想を消滅させないように人事が運用されてきたと言えよう。組織の上が詰まっているのを見て若手はますます将来に希望を持てなくなり、徐々にではあるが人材市場が流動化している。しかし変革よりも、現状を維持する対策のほうが主流だ。
いわばこれは、川が決壊するのを恐れ、堤防を高くしているうちに天井川(例えば鉄道の線路の上を川が流れるなど)が出来るような異常な姿である。破綻を先延ばしするコストが嵩んでいく。外国人が見ると、多くの日本企業の本社は異常に肥大化しており、販管費が異常に高い。国内企業同士の競争では大差なくても、国際競争をするにはコストが高過ぎることになる。
日本企業は、そのまま破綻するまで突き進むのか、破綻しないように修正をしつつ揺れ動くのだろうか。おそらく後者であり、その結果抜本的な対策は取られず、「失われた年月」は少しましになっても、続く確率が高そうだ。
次回は、日本的経営をアメリカとの比較に置いて考察する。
参考文献
・相葉宏二、『非・常識は未来の経営だ―日本的経営を否定する7ヵ条―』、早稲田ビジネススクール・レビュー Vol. 3、2006
・アベグレン, J. 『日本の経営』、ダイヤモンド社、1958
・アベグレン, ジェームズ・C. / ストーク, ジョージ、『カイシャ―次代を創るダイナミズム』、講談社、1986 ・ジャコービィ, サンフォード
・M、『日本の人事部・アメリカの人事部(日米企業のコーポレート・ガバナンスと雇用関係)、東洋経済新報社、2005