戦後アメリカは世界に冠たる強国となり、技術力も生産力も疲弊した他の国々と比較して、圧倒的となる。そこでは皆がハッピーになれ、戦後の大企業は国民から極めて肯定的に評価されるようになった。大企業は多くの分野で数社に集約され、「寡占的な協調」の時代を迎える。数社による業界支配、密かに行われる談合、大企業が多数のサプライヤーを従える関係など、日本で聞くような話が極めて多い。GE(ゼネラルエレクトリック)も1959年に電力機器納入で多数の業界企業間で談合を行った。厳しく罰せられる現在では考えられないことであるが、昔はアメリカ企業も日本企業のようだったのだ。
戦後のアメリカ企業は、海外企業とはほとんど競争がなかったため、労使の協調は続く。ストがあってもすぐに解決され、労働コストはどんどん高くなった。その結果、中流層が成長し、経済的な平等が進展する。当時は最高限界所得税率も91%と、まるで過去の日本のように高かった。
この時代のアメリカ企業は、事実上終身雇用的であり、1952年には経営幹部の三分の二が同じ会社に20年以上勤めていたという。ホワイトカラーもブルーカラーも決められたコースと給料をもらい、まるで日本企業のように組織目標と個人の目標が一致し、忠誠度が高かった。40年同じ会社に勤め、65歳定年で、遠からず一生を終えた時代である。
この時代多くの利益団体が現れたという。労働組合、農業協同組合、小規模小売、サプライヤー、小口投資家など、日本とは形は異なるが似たようなもので、政治に影響を及ぼす組織が力を持っていた。
スーパーキャピタリズムへの転換
ライシュはその後のアメリカの変貌をスーバーキャピタリズム(超資本主義)と呼ぶ。ガチガチの資本主義とも言える姿への変化は、70年代以降国際競争が高まり、圧倒的なアメリカ企業の優位がなくなり、皆がハッピーに果実を分かち合える時代ではなくなったことを意味する。
例えばGEのジャック・ウェルチが登場した1981年以降、彼の行った大胆なリストラクチャリング(事業ポートフォリオの大転換、大胆なコストカット、新たな組織能力の構築)は社内からも、社外からも大反発をくらった。血も涙も無い人でなしの「ニュートロンジャック」(中性子爆弾で人を殺し、建物だけ残る)、「アメリカでもっと厳しいボス10人」のトップに挙げられた。彼が叩かれたのは、彼が「競争をするには、余った人員を抱えるような過去のアプローチでは、結局会社全体が滅びる」という新しい考え方を初めて主唱したからだった。その後10年間で他の企業も続々追随し、20年経つとウェルチは「世紀の名経営者」として絶賛される。逆に過去日本企業のように人を大事にしてきたIBMやHPは、様々な時代の変化に取り残され、危機に陥っていく。大胆な規制緩和が続いた70年代から80年代に、労働者ではなく消費者と投資家がパワーを伸ばし、激しい企業間の国際競争の時代と変化したのである。