アメリカと日本とでは、経営の価値観が異なると考えられがちだ。しかし過去を振り返ると共通点も多く、アメリカでも株主重視の姿勢やリストラの実施は一般的ではなかった。目まぐるしく変わるアメリカ企業の経営のあり方を、歴史を紐解きながら考える。
アメリカの大企業と規制の変遷

早稲田大学ビジネススクール教授。東京大学法学部卒業。米ハーバード大学大学院よりMBA取得。太陽神戸銀行(現三井住友銀行)を経て、ボストンコンサルティンググループ入社。東京事務所、デュッセルドルフ事務所に勤務。プロジェクトマネジャーを経て、1990 年より本社取締役兼東京事務所ヴァイスプレジデント。 1994 年より大阪国際大学助教授、2002 年より現職。国内主要企業の社外取締役や監査役を歴任。日本CFO協会顧問。
第1回では日本的経営が成立したのは、戦後日本の特定の環境によるもので、必然性・普遍性を持たないことを述べた。では例えばアメリカと比べた時は、日本企業は全く違うものなのだろうか。ともすれば海外と日本では社会の在り方や文化が違い、そのような違いに応じて顕著な差があるのが自然だという考え方が強いように思われる。以下アメリカ企業の歩んできた歴史を、主としてロバート・B. ライシュの『暴走する資本主義』に基づき垣間見ることで、実はアメリカ企業は、昔は日本企業に似た部分が多く、それが急激に変化してきたため、現在の「極端な対比」となっていることを示す。
南北戦争(1861-65)が終わり、アメリカがまだ農業国だった時代、北部から大企業が生まれ成長し始めた。関税を高めることで輸入代替産業が発達し、市場経済を促進すべく全米をカバーする鉄道網が作られ、多くの独占企業が成立する。生活必需品を始め価格を高く維持する大企業の横暴に対し、反感が強まった。その結果独占禁止に関わる法律(シャーマン法など)が作られたが、大企業の地位は強かった。例えば1994年のフォーチュン500社のうちほぼ半数が1929年までに成立している。
初期には独占禁止のために企業を分割する例が多く見られた。しかし次第に独占を判断する基準の曖昧さや分割の影響の大きさに鑑み、司法は分割に消極的になった。他のやり方で規制したほうが、国民の利益を守れるという考え方に移行していったのだ。これは「公益のために規制を行う」ことで、鉄道・電力・電話などは専門の委員会による料金規制が行われ、FTC(公正取引委員会)も「過当競争を防ぎ、企業の利益を守る」ことを目的とした。結果として雇用や地域経済を守るプラスも期待された。同時に業界団体が進化し、業界で様々な標準を決め、規制と同じ効果を得ることが第一次大戦までに確立する。このような姿は日本で業界団体が果たしている役割に極めて近く、競争企業間での対話は現在ではあり得ないが、昔はアメリカも日本と似ていたことがわかる。大恐慌を経て、戦時経済に突入し、生産能力の制限や価格引き下げの回避が行われ、企業と労働者ともに利益が守られるように協力し合っていた。