アメリカ企業のガバナンスの変遷
現在のアメリカの公開企業では、株主の利益のために取締役が選ばれ、取締役会の過半数が独立性をもち、三つの委員会(監査委員会、報酬委員会、指名委員会)が設けられている。CEOを選ぶのも、経営幹部の報酬を決めるのも、社外役員が主導する。しかし昔はどうだったのだろうか。
GEのヤング会長(1922−40,42−45)は「企業の目的は、株主に物質的、文化的に優れた人生を与えるだけでなく、従業員にもそれを与えるべきであり、国家のより大きな目標に貢献する必要が有る」と述べている。1978年には、GEのCEO兼会長のジョーンズは一定の社会的制約は認めるものの、「現在のシステムの中心的な原則では、取締役の責任は株主に対するものである。」と述べた。
逆に1981年のアメリカのビジネス界を代表するビジネス・ラウンドテーブルの「企業責任に関するステートメント」では、「ステークホルダーのバランス論」が唱えられた。まるで戦前のGEのように、「株主が期待する利益の最大化とその他の利益をバランスさせることは、企業経営における根本的な課題の一つである。」とした。この立場は1990年にも踏襲されるが、1997年に大転換した。「経営者と取締役会の最重要の義務は企業の株主に向けられるべき」としたのである。株主代表訴訟に晒されるアメリカの取締役は、法的に危うい「バランス論」よりも、はっきりした基準を求めた。これは「株主至上主義」として現在のアメリカのビジネス界の基準となり、広くアメリカ社会での常識ともなり、世界も従うべきだという考えとなった。
日本のコーポレートガバナンス
日本で株主主権が叫ばれるようになったのは2000年以前からだったが、当時の経営者の本音は、「建前としては株主が大事だと言わねばならないが、本音では従業員が大事だ」というものだった。中には「株主重視を声高に語る経営者は嘘つきだ。雇用を大切にすることしか考えていないのに、マスコミ受けする発言をするのは卑怯だ。」と言う優良企業のトップもいたくらいである。
現在日本では「社長が次の社長を選ぶ」ことに疑問が呈されていない。社外からの取締役に呼ばれるのは、「社長の仲良し」や「友人の友人」というところからスタートして、最近はヘッドハンターに利害関係のない人材を求めるまでになっている。経団連の反対にもかかわらず、ようやく社外取締役を二人は入れようというところまできた。そこから過半数になるまであとどのぐらいの年月が必要なのだろう。それともいつまでもならないのだろうか。
次回の最終回では、日本での変化が遅い構造的な要因を考察し、日本企業の進化の方向性を考察する。
参考文献
・相葉宏二、『グローバリズムへの批判に対する回答』、早稲田ビジネス・レビュー、 Vol. 10, 2009
・ウェルチ, ジャック 『ジャック・ウェルチ わが経営(上・下)』、日本経済新聞社、2001
・大月威芳著、『アメリカ家電業界の経営史』、中央経済社、1998
・坂本和一著、『GEの組織革新 リストラクチュアリングへの挑戦』、法律文化社、1989
・ライシュ, ロバート、『暴走する資本主義』、東洋経済新報社、2008