ご自身で手を動かすことが、星野さんにとっては「作業」ではなく、「思考」の一部になっているということなのですね。
そうです。株主総会のように伝える内容が決まっていれば、決まった資料を揃えるだけの「作業」で済んでしまいます。しかし、それではワクワクしませんし、考える時間にもなりません。
組織全体のこと、会社が置かれている状況、社員が置かれている状況。これらを踏まえて、社員に何を語り伝えることがベストなのか。それをフリーハンドで考えなければならない環境は、いい刺激になっています。スキーの時間と全社員研修の準備の時間。黙っていても考える時間が確保されているという環境が、結果的に私にとってはプラスになっているのでしょう。
なるほど。全社員研修のケースは、アウトプットの機会が設定されているからこそ、思考が回るということになりますね。当初から、全社員研修が考える機会になると思われていましたか。
結果的にそうなったというのが正確なところですね。
この全社員研修は、私が話す内容に期待を寄せてくれる社員が数多くいます。その結果、自然と深く考えるようになっていきました。話す内容がつまらなければ、社員に辛辣な言葉を浴びせられます。
「今年の内容は、いま一歩でしたね」
「去年のほうが断然面白かったです」
このように、いい意味でプレッシャーになっていて、深く考えざるをえなくなっているのです。少なくとも、社員の期待には応えなければならないと思っていますね。
全社員研修では「来年こういうことやる」「5年後にこういうことをやる」といった、大きな決断も発表されるのですか。
そういう話はしません。私が常に意識しているのは、各施設で働く社員たちが、自分に関係のある話と思ってくれないと意味がないということです。
今後、バリ島にホテルがオープンしますが、大多数の社員はバリで働くわけではありません。バリのホテルの話をしても、自分には関係のないことと関心を持ってくれません。自分が働く施設にとって意味があり、自分がやっている仕事にとって意味がある。しかも、会社全体の方針や全体の戦略と、それぞれの施設で働くひとりひとりの社員が直接リンクしているかどうか。そんな話題を考えるのが、全社員研修で私に課せられたミッションになっています。
世界のホテル業界の変化や、世界のサービス産業のイノベーションの動きが、それぞれの日々の仕事に直結していると伝えることも重視しています。
たとえば、アメリカの大手ホテルチェーンのマリオット・インターナショナルが、シェラトンやウェスティンなどを運営するスターウッド・ホテルズ・アンド・リゾーツ・ワールドワイドを133億ドルで買収したことがどういう意味を持つかという話です。
これは、私が十数年前から言い続けてきた「ブランドが多すぎる」ことに対する修正の動きだと考えています。その動きと各地方の社員との間にどのような関連があるか。そういう話をしたいのです。
外部情報よりも「現場の声」が
考えるためのヒントになる
星野さんが物事を考えるとき、どのようなインプットをされているのでしょうか。
もっとも重要なのは、現場の悩みです。現場が今、どのようなことに悩んでいるのか、どのようなことが課題になっているのか。それをつかむことがインプットの基点になります。
日本という小さな国の一角の、小さな地方というエリアの職場にいると、どうしても自分の身の回りのことしか考えなくなってしまいます。大切なのは、自分の身の回りのことと世界のマーケットや世界のホテル業界がどのように結びついているかを知ることです。
そして、身の回りの悩みや課題とリンクするストーリー展開があると、納得感が違います。だからこそ、総支配人や現場のスタッフと直接話をすることは、考えるうえで大事なインプットになります。インプットする情報を外部から集めるのは、その次の段階になりますね。
外部から情報を集めるときに、意識的にされていることはありますか。定期的に読んでいる雑誌や書籍があるとか、必ず会うようにしている人がいるとか。
いいえ、私は目的がないと本も読みませんし、人にも会いません。伝えたい内容に役立つものがあったら、本を読んだり人に会ったりする。そういう順序です。
あえてお伺いしますが、セレンディピティ的な知の出会いをどのようにお考えになりますか。生産性は低いと思いますが、予期せぬ出会いが考えるためのヒントをもたらす場合もあると思います。
そうしたことを意識することはほとんどありませんね。
偶然の出会いから得るものがあるということは理解できます。これだけ情報が氾濫している時代、すべての情報を網羅することはできません。偶然の出会いに期待する人の気持ちはわかりますが、それを求めて闇雲に出歩くだけの興味は、私にはないですね。
興味がない?
ええ。忍耐力がないと言えばいいでしょうか。そんな暇があったらスキーに行きたい(笑)。ホテル業界やリゾート業界に長くいて、全体の動きが見える立場にいるので、その分野の情報は網羅しているつもりです。それでも補うことができない情報は、明確な目的がある場合にだけ取りにいきます。
ほかの業界から考えるためのヒントを得るということもないのですか。
IT技術が旅行業界を変えつつあるのは事実です。ホテル業界は、インターネットの予約システムやタクシー業界の変革などからもっと学ぶべきことはあると思っているので、その周辺のことはしっかりとウォッチしています。たしかに、もっとほかの業界からもヒントを得られる可能性は高いとは思いますが、なかなかそこまで手が回っていませんね。
考える時間を有意義にするには
コンディショニングが重要
まったく異分野の人に会うようなことは心がけておられますか。
それはないですね。そういう時間が無駄だとは思いませんし、そういう時間があったら素晴らしいとも思います。異分野の人に会わないことによる機会損失があることも理解しています。でも、その機会損失をしないために、求めているものが不明瞭な状態で人に会う余裕はありません。そういうことをするくらいなら、もっと自分のコンディションを整えることに集中したいですね。
人生において、時間は有限です。仕事をする時間の犠牲になりやすいのは、私の場合は家族と過ごす時間やスキーの時間です。でも、その時間は削らずに重要な時間として確保し、残りの時間で仕事をしようというポリシーがあります。漠然とした機会損失を埋めるためだけに、貴重な時間を削ることはしませんね。
よくわかります。コンディションを整えるために必要不可欠なのが、ご家族との時間やスキーの時間ということですか。
そうです。
コンディショニングを重視されるようになったのは、いつごろからでしょうか。
30代のころは永遠に時間があると思っていました。だから、コンディショニングについて意識することはありませんでした。どんなにハードに仕事をしても、集中力が続く自信もあったからです。
でも、最近は考え方が変わりました。たとえば会議の最中に発想するアイデアの瞬発力や、判断の正確性やスピードは、コンディションがかなり影響してくるということがわかってきたのです。スポーツ選手が試合本番を迎える感覚と近いかもしれません。
お話をお聞きしていると、星野さんには「オン」と「オフ」がないように見えます。コンディショニングのための時間がオフというわけでもなさそうですし、意思決定や考えるために、日々時間に追われている状態でもなさそうです。
そうですね。たくさん仕事をしていれば、たくさんいい判断ができるわけではありません。むしろ今は、判断する内容の質が問われていると思います。いち早く状況を把握し、決断を下してあげることが大事。決断しないと進まないですからね。
今の時代、分析するための情報や決断するための材料は無限にあります。検討しようと思えば永遠に検討することができる。現代は、それが可能な環境にあります。本当に大事なのは、全体が見えていないなかで手元にあるボンヤリした情報だけで正しい判断を下すことです。そのときに、自分自身のコンディションが必ず影響すると考えているのです。
コンディションを高めるためにメンタル面で心がけていらっしゃることはありますか。
自分のなかに、メンタル的ないい状態のイメージは持っています。しかし、フィジカル面のコンディションが悪いと、メンタル面でいい状態になりません。固執感が鈍り、結果的にパフォーマンスが落ちていく状態です。会社にとって大事なことは理解できても、それを実現するための「しつこさ」が欠けてしまうようなイメージです。気力を維持するには疲れていない状態であることが重要ですし、それには心も体も疲れていない状態であることが大事だと考えています。
仕事のことを考える気力が続く状態をキープするということですね。
そうですね。気力が続く心身の状態を維持する。それは単に健康という意味ではなく、気力が高い状態を維持するために心も体も良好な状態でいることが大事だと思っています。
お話をお聞きしていて、星野さんはロジカルな一面もある一方で、深く内省される一面があるという印象を受けました。
私は絶えず過去を振り返り、常に反省をしています。マイナス面の反省だけではなく、今日はいい判断をした、あの場面であのような発想ができたのはよかったなど、何かしら振り返っていますね。
それを書き留めたりするのですか。
いいえ、書き留めることはありません。振り返ることが習慣化されているから、その必要がなくなっているのだと思います。いい判断ができたのはなぜか。いい判断ができたのはどのような状況だったか。そうしたことを考え続けてきた結果として、情報が揃っていたからいい判断ができたのではなく、自分のコンディションがよかったからいい判断ができたことに気づいたのです。
私は、あまり会食はしません。接待も受けませんし、仕事仲間とゴルフに行くこともありません。当然のことながら、深酒もしません。そうしたことは、次の日のパフォーマンスを落とすことにつながると思っているからです。自分のパフォーマンスにとってプラスになる活動は何か。過去にマイナスになった活動は何か。長く生きていると、それがだんだんわかってきます。そこに家族との時間やスキーの時間が入ってくると、どうしても時間は限られてきます。その限られた時間のパフォーマンスを最大化し、考える時間を有意義にするためには、あまりほかのことができなくなってしまうのです。