文化のくくりとして国がふさわしくないと判断した筆者らは、どんなくくりがより適切となりうるのかを探った。仕事文化が国境によって分かれないならば、何が共通項になるのだろうか。

 この疑問への解を求めて、くくりになりうる17の項目に沿って文化を比較してみた。個人的特性としては、性別、年齢、世代、教育年数、職業、社会経済的地位などだ。また環境的特性として、社会的・政治的自由、経済的自由、1人当たりGDP、人間開発指数、グローバル化指数、長期的失業率、都市化の程度、所得の格差(ジニ係数)、腐敗の程度、犯罪率、農業就業率なども含めた。

 すると、17項目のなかで「国」は文化のくくりとしてなんと15位(下から3番目)であり、これより劣っていたのは性別と年齢という共通項のみだったのである。

 分析によれば、職業や社会経済的地位といった人口統計学的な分類のほうが、仕事に関する価値観の類似性をとらえるうえで、国よりも勝っていた。つまり、さまざまな国から1つの部屋に集められた医師たちのほうが、1つの国からランダムに集められた人々よりも、仕事の価値観を共有している可能性が高いのである。

 同じように、社会経済的状況や教育水準が同程度の人々は、出身国が同じ人々のグループと比べて、より多くの価値観を共有しているだろう。また、グローバル化や経済的自由といった政治的・経済的特性も、仕事の価値観の類似性を予測するうえでは出身国よりも優れていた。

 つまり筆者らのデータによれば、「国の文化」を論じるよりも、職業や貧富、自由と抑圧などの文化について語るほうが理にかなっているのだ。

 もちろん、他のあらゆる研究と同様に、筆者らの結論にも留保が付く。たとえば、今回検証したのは仕事に関する4つの価値観だけであり、より一般的な自由や平等の重視といった社会的価値観については調べていない。また、分析対象は32ヵ国に留まり、他の地域に今回の知見がどの程度当てはまるかはわからない。

 しかし筆者らは、これらの知見を「国=文化」という枠組みから脱却する端緒になるものと考えている。実際、一部の国境は政治的な思惑や歴史的な経緯のなかで恣意的に引かれたものだ。「ロシア文化」や「マレーシア文化」、「アルゼンチン文化」などと言うのは簡単だが、どの国にも内側には価値観の多様性がある以上、こうした言い方は極めて不正確であり、危険でさえあるかもしれない。

 ある国出身の相手が、その国から連想される典型的な価値観を持っていると考えてはならない――これが、グローバルにビジネスを行う人に筆者らが贈る最大の教訓だ。文化的な多様性が高いグループを率いてモチベーションを高める際、文化を国という枠で典型化すると、さまざまな過ちにつながる可能性が高いのである。


HBR.org原文:Research: The Biggest Culture Gaps Are Within Countries, Not Between Them May 18, 2016.