文化を「ある集団による価値観の共有」と捉えるならば、「国」はその単位として適切ではないという。新たな研究によって、職業や社会経済的地位など、国よりも優れた「文化のくくり」が14も判明した。


 異文化間のマネジメントに関する議論では、「文化」と「国」がしばしば同じ意味の言葉として使われる。

 たとえば、次のような考えが広く受け入れられている。

 中国や日本といった東洋の国々では、職場においては個人に対する称賛や達成よりも、集団の和のほうが重視される文化規範がある。一方、米国やドイツのような西洋の国々では、仕事でより重視されるのは個人の達成度合いやパフォーマンスである――。

 そのためマネジャーは、仕事に関する信条や規範、価値観、行動、慣行などに言及する時、「日本の文化」「米国流のやり方」といった表現を使う。そして海外駐在者は「国=文化」という前提に従って、日本では日本のやり方、ブラジルではブラジルのやり方で物事を進めようと努力しているわけだ。

 筆者らは先頃、『マネジメント・インターナショナル・レビュー』誌に寄せた論文で、この常識に異を唱えた(英語論文)。それは仕事の価値観に関する、過去35年分・558件の研究報告をメタ分析した結果から導いた結論だ。対象地域は世界32ヵ国で、米国、ブラジル、フランス、南アフリカ、中国も含まれる。

 この研究では、仕事における以下4つの価値観を、各国の人々がどう重視しているかを検証した(ヘールト・ホフステードの「文化の4次元」に基づく)。

1.個人主義か、集団主義か
2.組織内での階級と地位への認識(権力の低い者が不平等を受容している度合い)
3.不確実性をどれだけ回避したがるか
4.物質的豊かさ・自己主張・競争(男性らしさ)重視か、社会福祉・円滑な人間関係(女性らしさ)重視か

 上記4つの価値観を分析したところ、「国」はむしろ、文化の「くくり」としては非常にふさわしくないことが示されたのである。

 筆者らは、これらの価値観の相違を「各国内」と「国家間」で比較した。もし国が文化のくくりに適しているのなら、国内での違いは少なく(同国人が似たような価値観を共有している)、国家間の違いは大きい(他国人同士の価値観は異なる)はずである。

 だが興味深いことに、分析の結果はその反対だった。価値観の相違の80%以上は各国の内部において見られ、国家間での相違は20%に満たなかったのだ。

 その理由の1つとして、過去数十年にわたり続いてきた国家間における人々の移住が挙げられる。それが各国内での価値観の多様化につながっているのだろう。

 ここから2つの重要な示唆が得られる。

 第1に、「日本文化」や「米国文化」、あるいは「ブラジル文化」について語ろうとすると、過ちにつながる可能性が大きい。各国内で仕事に関する価値観がこれほど異なるのだから、ある国の仕事文化を一般化できると考えるのは明らかに間違っている。

 第2に、ある米国人が上海の街を歩いている最中に出会う中国人は、「中国の一般的な文化」よりむしろその米国人に近い価値観を持っている場合が少なくない。つまり、その国の文化に関する典型的イメージがほとんどの国民に当てはまる、という考えは適切ではないのだ。