「市場浸透率」(当該市場の顧客の何%が自社商品を購入しているか)も、広く普及していながら、誤解も招きやすい指標だ。市場浸透率が低いと購入者を増やせる見込みがあり、高ければ新規需要の余地がないと見限られるリスクがある、というのが前提とされる。
この指標の主な問題は、推計が過小になりがちな点だ。それが自己満足を招き、リーダーは機会を見過ごすことになる。
カテゴリーの創造者にとって、この過小評価の問題はいっそう明白だ。テスラにはEVの市場浸透率もあるが、高級車市場、グランピング(豪華キャンプ)およびキャンプ市場などを加えたら、対象市場は広がる。
より手頃な価格になったモデル3が加わればなおさらだ。格安ホテルの利用者も、対象市場に含まれるのではないだろうか。子どもがスポーツのトラベル・リーグ(遠距離遠征が必要なリーグ)に所属している家族は、どうだろう。
そして、「ステイケーション」(自宅で過ごす休暇)市場の消費者はどうだろうか。モデル3が市場にもたらすのは、私が以前に提案したアップルカーのあるべき姿と同じもの、つまり「自宅の好きな部分を車に持ち込む」ということだ。テスラの伸びしろは、人々が考えるよりはるかに大きい。
カテゴリーを創造しない場合でも、市場浸透率の推定は不正確になりうることを知るべきだ。浸透率はたいてい、データ提供者が取引・決済レベルのデータを収集して計算する。こうしたデータは、経時的変化を追ったり、相対比較をしたりするぶんには問題ない。しかし、潜在的に対象となりうる市場や、市場の成長性を推定するには不向きなのだ。
なぜだろうか。第1に、誰かが昨年ある商品を1度買ったからといって、それを使い、気に入り、また欲しくなる、とは限らないからだ。これは、幼稚園レベルの基本的ロジックである。2人の幼稚園児が休み時間に手をつないだら、「結婚している」とはやし立てるようなものだ。取引データが示すのは、消費者が何を購入したかであって、何を欲しいかではない。ましてや、売上げと需要は同じではない。
第2に、市場浸透率は個人単位ではなく世帯単位で測定される。私の世帯がキムチを買ったからといって、家族全員でそれを食べるわけでもなければ、好きなわけでもない(残念ながら)。ネットフリックスが世帯内での複数人による利用を許可しながらも、個別のログインを求めるのは、個人のデータが貴重だからだ。
世帯・購買における浸透率が50%以上のブランドでも、個人による実際の利用(そして好感)の浸透率は、それをはるかに下回っている可能性がある。そうしたブランドは、さらなる伸びしろを見出せるかもしれないということだ。