日本企業が苦境を脱するためには、過去の成功体験を捨て去り、イノベーションを起こすことが必要だと言われて久しい。だが、ネスレ日本代表取締役社長兼CEOの高岡浩三氏は、「サラリーマン社長」にイノベーションを起こすことは極めて難しいと断言する。そして、リーダーみずからがイノベーションを起こせないのであれば、その種を見抜くことが必要だと言う。では、そうしたリーダーは、いかに育てればよいのだろうか。(構成/新田匡央、写真/鈴木愛子)
失敗したくないと思ったら、
経営者としては賞味期限切れ

ネスレ日本代表取締役社長兼CEO
1983年、神戸大学経営学部卒。同年、ネスレ日本入社(営業本部東京支店)。2005年、ネスレコンフェクショナリー代表取締役社長に就任。2010年、ネスレ日本代表取締役副社長飲料事業本部長として新しい「ネスカフェ」のビジネスモデルを構築。同年11月、ネスレ日本代表取締役社長兼CEOに就任。著書に『ゲームのルールを変えろ』(ダイヤモンド社)、『ネスレの稼ぐ仕組み』(KADOKAWA)、『マーケティングのすゝめ』(共著、中央公論新社)、『逆算力』(共著、日経BP社)がある。
編集部(以下色文字):日本企業にはイノベーションが必要だが、いわゆるサラリーマン社長にはイノベーションを起こす力がない。高岡さんはそう指摘されています。なぜそう考えられたのでしょうか?
高岡(以下略):私が尊敬する、ヤマト運輸創業者の小倉昌男さんは、ご著書『小倉昌男 経営学』の中で「イノベーションは社長が起こす」と書かれています。小倉さんが想定された社長とは、2期4年や6年の任期を無難に務め上げることだけを考えるサラリーマン社長ではありません。イノベーションの定義を知り尽くしたうえで、顧客自身でさえ気づいていない問題を発見する眼力を持ち、それを具現化できる能力を持った人物。そういう資質を想定したのだと思います。
また、イノベーションを起こすうえで必要な資質について、「起業家型リーダーを見極める方法」(DHBR2017年8月号)という論文に、とても興味深い調査が載っていました。さまざまな国の4000人以上の起業家と、「自分はゼネラルマネジャーではあるが、起業家ではない」と自覚する1800人のビジネスリーダーとに、同様の心理テストを行い比較しました。その結果、起業家には普通のビジネスパーソンとは違う3つの特徴があるといいます。1つ目は「不確実な状況下で成功する能力」、2つ目は「プロジェクトをみずから始め、自分のものにしたいという強烈な願望」、そして3つ目は「他人を説得できるスキル」です。
日本企業には、こうした能力を備えた人物を社長に据えるための、サクセッション・プラン(後継者育成計画)がありません。そもそも、イノベーションを起こせる人を社長に選ぼうとしていないのではないでしょうか。サラリーマン社長の中にそれができている人がいないとは言いませんが、それは偶発的な出来事です。そして、そんな人はめったに現れないでしょう。実際、創業経営者以外、サラリーマン社長でイノベーションを起こし続けた人がいるでしょうか。ほとんどいないのが現実だと思います。
高岡さんは「ネスカフェ アンバサダー」などのイノベーションを起こしてきましたが、ご自身は新卒でネスレ日本に入社したサラリーマン社長でもあります。なぜ、挑戦的な取り組みができたと考えますか?
おそらく、ダイバーシティの中で育ってきたからではないでしょうか。若い頃は、日本のことをまったく知らない外国人の上司や同僚から、しつこいほど「日本の常識」について質問され、それに答えてきました。すぐに答えられない質問ばかりでしたが、私は考えに考え抜いて答えを見つけました。何年もかけて、ようやく答えられた質問もあります。その経験が、イノベーションの大前提となる、顧客が気づいていない問題を発見する力の訓練に結びついたのだと思います。
また、人がやらないことをやる。誰もつくったことがないものをつくる。それを自分のモチベーションにできることも重要だと思います。この資質は、イノベーションを起こすにあたって決定的に大事なことではないでしょうか。
瑣末な例ですが、私には、工場に行ったときにどうしてもやりたくなってしまうことがあります。工場には、敷地内で人が歩ける場所を白線で囲ってあります。線の外には、手入れの行き届いたきれいな芝生がある。どうしても、そこを歩きたくなります(笑)。それはビジネスでも同じです。誰も行かないところに進みたいと常に思っています。
誰もやったことのないことをやりたいという気持ちは、先天的に持っているものだと思いますか?それとも、後天的に養われるものなのでしょうか?
どうなのでしょう。専門家ではないので、はっきりとしたことは言えませんが、私自身に限ったことで言えば、昔から1番にならないと気がすまないタイプでした。母がそういう性格でしたから、私にも「1番にならなければ意味はない」とすり込んでいたのかもしれません。
ネスレ日本は100年以上の歴史を誇る伝統的大企業です。そうした組織では、上昇志向を持つ人が馴染めずに、排除されることすらあるようにも思えますが。
私が入社した頃のネスレ日本は、官僚的で、典型的な日本の会社でした。そんな中で1番を目指してガツガツやっていたわけですから、周りから好かれていないだろうなとは思っていました。ただ、自信過剰に振る舞うのではなく、優等生のような行動をとってはいました。周囲が「あの上司は頭にくる」と言っても、私はその上司に嫌われて「バッテン」がつくのが嫌だったからです。
そうした行動をとったのは、早く上に行きたいという焦りがあったからかもしれませんね。小学校6年生になる直前に父を亡くしましたが、父も祖父も42歳で亡くなり、自分も若くして死ぬと思い込んでいました。短期間で出世するには、上司に反抗しマイナス点がつくのは避けないといけない。上司を選べないサラリーマンである以上、どんなに嫌な上司からも最高の評価をもらおうと思っていました。
そんな私を見て、先輩や同僚からはゴマをすっているように見えたかもしれません。実際、「おまえは、やり方がうますぎる」と言われたこともありました。
プロセスではなく結果を最優先するのは、周囲に負けたくなかったからですか?
負けたくないのはもちろんですが、ブランドの力で多くの人を幸せにしたいと思ってネスレ日本に入ったので、死ぬまでに少しでも上に行って大きな仕事がしたいと思っていたことのほうが大きいですね。出世を目指すのも、上司に認められるのも、それを達成するための手段にすぎません。そう割り切れていたのは、普通のサラリーマンとは違っていたと思います。そうした志を持っていなければ、失敗しないように出世レースを戦っていたかもしれません。
実際にトップとなり、そこでも成功を収められたことで、失敗したくないという思いは湧いてきませんか?
そうなったとしたら、私の社長としての賞味期限が切れたということです。いまはまったくそう思いませんし、むしろ、もっと失敗したほうがいいと思っています。もちろん、行動するまでにさまざまな検証をするので、その失敗は小さいレベルで収まるものばかりです。
私は、ここ何年か続いている「ネスカフェ アンバサダー」という大きなイノベーションを起こしました。これからは「ネスレ ウェルネス アンバサター」というイノベーションが控えています。これは私のプロジェクトなので、最後までやり抜きたいし、誰にも渡したくない。それは、他人に渡してもうまくいかないと思っているからです。まだまだ成長したいという気持ちがある限り、守りの姿勢になることはないでしょう。
ただ、アイデアや気持ちが枯渇しなくても、業績が悪化し、その立て直し策が浮かばなくなったときは、これも賞味期限が訪れたということです。そのときは、たとえ自分のやりたいことが残っていても。潔く辞めなければならないと思います。