企業幹部向けプログラムでは、世界のビジネススクールの中でトップの評価を受けるIESE。スペインに本部を構えるが、MBAコースには日本人学生が一学年に15~20人と、世界のビジネススクールで稀な存在である。また、ステークホルダーとの関係を重視するなど、日本企業と価値観が似る面も多い。同校の独自性や先進性について、学長のフランツ・ホイカンプ氏に聞いた。(聞き手/DHBR特任編集委員・山崎繭加)

「何のために働くか」は
「私たちが何者であるか」を形作る

編集部(以下色文字):IESEは世界中から優秀な学生が集まり、成功しています。ただ、キャンパスはスペインにあり、スペインは必ずしも経済の中心というわけではなく、IESEの母体となる大学はナバーラ大学で、ハーバードやスタンフォードのように世界的に有名な大学ではありません。IESEの成功の秘密は何でしょうか。

フランツ・ホイカンプ(Franz Heukamp)
IESE学長
ドイツ出身。マサチューセッツ工科大学工学博士。IESE副学長としてMBAプログラム責任者を務めるなどして、2016年より現職。企業経営者にとって最適な意思決定は何か、行動経済学の分野から探求するのが専門。

フランツ・ホイカンプ(以下、略):この学校を、1958年に創設した人々のビジョンに帰結するのかもしれません。すなわち、「すでに経験豊富な企業幹部であっても、経営能力を高めることができる。所属する組織を強くし、さらには生きる社会をもよくすることができる」という考え方です。1950年代、こういう考えは欧州、特にスペインでは一般的ではありませんでした。

 世界に目を向ければ、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)など、MBAに続いて企業幹部向けのプログラムを開始しているビジネススクールはありました。IESEの初代学長は当時、そうした学校から最高の経営の教育についての知見を集めつつ、あるユニークな経営に対する思想と結びつけたのです。

 それは、「経営とは人間中心である」という思想です。組織としてうまくいくためには、企業に関わる人々を常に中心においた戦略を立て実行していく必要がある、という考え方です。企業の中で働く人との関係はもちろんのこと、顧客やサプライヤーなど、企業の外にいて企業と関わる人々とどのような関係を築くのか、さらには社会に対してどのような貢献をしていくのかを考える、それこそが経営である、と。

 こうした思想に、さらに具体的な教授法が組み合わさりました。当時はまだ革新的であったケースメソッド(ある具体的な企業の状況について描いたケースを読み、クラスで議論をしながら考えを深める教授法)を教授法として導入したのです。設立者のビジョン、経営に対する思想、さらにケースメソッドという具体的な教授法の組み合わせが、IESEのこれまでの歴史を形作ってきているのだと思います。

――IESEは企業幹部向けプログラムの学校として始まり、その後MBAができたのですね。

 そうです。最初の企業幹部向けプログラムは主にバルセロナ近郊のトップ幹部を対象に1958年に開催し、その後も学校は経験豊富な幹部向けの教育に注力し続けています。

 IESEのMBAプログラムは、企業幹部向けプログラムの卒業生たちが「こうした教育をもっと若い人たちに向けてやってほしい」と要望してきたことをもとに1964年にスタートしています。MBAのような次世代リーダー向けの教育でも、「CEOの目」を強調しており、ビジネスの問題についてあらゆる角度から考える能力をつけることを重視しています。

――先ほどIESEは設立当初から人間中心の経営、今の言葉でいうと様々なステークホルダーとの関係を踏まえて経営する、ということを意識されていたとおっしゃっていました。この考え方についてもう少し詳しく説明していただけますか。

 創設当初からあったのが、組織とは、そこに集まって働く人々から成るものだ、という考え方です。そしてそこで働くことは、それぞれの人生にとって重要な意味を持ちます。私たちは自分の時間の多くを仕事に使っている。つまり、どう働くか、何について働くのか、何のために働くか、というのは、私たちが何者であるかを形作ります。仕事とは人生、さらに自分というものの一部なのです。

 組織とは人が集まり互いに影響し合う場であり、人は互いに責任を持ちます。つまり、経営の責任を持つ人たちは、その組織で働く人たちがよりよく生きられるようにする責任があるということです。さらに、組織の境界はゆるやかで、外にいる顧客やサプライヤーとやり取りしている。組織はより広いコミュニティに属しており、働く場を創り、物理的な施設を置くことで、コミュニティにも影響を与えている。こうした様々な関係性を基盤において経営を考えるというのは、私たちにとっては自明なことでした。

 もちろん、株主との関係は重要です。彼らからの資本により組織として動くことができているわけで、その貢献に対しては適切な報酬で応えなければいけない。でも、重要な関係はそれだけではなく、働いている人も、より広いコミュニティも組織に対して貢献しているのです。これはIESE創設時より学校と共にある考え方でした。

 株主への還元価値が会社の成功を測る唯一の指標であるとする株主価値理論は、企業とは何かという観点からは狭すぎる見方だと私たちは考えます。この理論は知的に面白く、企業とは何かを簡単に定義できるという魅力があるのは事実です。でも、現実はもっと複雑で、より多様なステークホルダーが関わっているわけですから。

 この理論が行き過ぎると、時々実際の世界でも起きるように、働いている人のことやコミュニティのことを無視した経営になるといった、非常にまずい事態が引き起こされます。

――とても興味深いです。私が10年間働いていたHBSでは、株主だけでなく様々なステークホルダーを考えて経営するという考え方は、2002年のエンロンの事件の反省をきっかけに、本格的にカリキュラムに組み込まれました。また、「Knowing(知識)・Doing(実践)・Being(自己を知る)のバランスが大切」という新しいフレームワークが提示され、自分は何者であるかというBeingが人生の羅針盤となるということが強調されたのは、2008年の金融危機の後です。でもIESEは、創設当初からそうした考え方を重視されてきたのですね。こういった思想は、どのようにして教育の現場に反映されているのでしょうか。

 教科でみると、よりセルフリーダーシップや自省に力を入れているということはありますが、他のビジネススクールとほぼ同じです。特徴的なのは教え方で、ビジネスの課題を議論する時には、参加者により広い視点からの議論を促す、というのが徹底しています。

 例えばファイナンスのケースであっても、単にファイナンスの話をするだけでなく、ビジネス界全体への意味合いを問います。人間中心の経営、様々なステークホルダーを踏まえた経営、という思想が共有されているため、自然と教育の現場でもそうした議論が行われる、というところがユニークなのではないかと思います。

――思想が共有されているとおっしゃいましたが、ビジネススクールでは、経済学、社会学、経営学、心理学などの博士課程を出たあまり実務経験のない人を教員として採用しますよね。こうした新任の教員に対し、IESEの価値観や経営に対する思想を教育する機会を設けているのでしょうか。

 はい。まず採用時に「私たちは特定の経営理論を支持するのではなく、経営の現実を重視する」ということを伝えます。理論ではなく、企業がどう動くのかの現実こそが重要。リアリズムの考え方です。

 若手からシニアまでの教員が集まって、社会におこっている様々な現実の課題を議論する場を2カ月に一度開いています。この議論を通じて、現実に対してより広い視点を身につけられるようになります。正しいことと簡単にできること、正しいこととすぐに成果がでること…様々な重要なジレンマを議論します。

 今の博士課程教育には、倫理に関したきちんとした訓練が組み込まれていません。何が正しいのかという議論におけるシニア教員の意見から、倫理的な判断や価値観についても学ぶことができます。