ブランド戦略の権威による新著は、ストーリーの重要性を説くもの。「人は他者には関心がない」という事実を踏まえて、いかにブランドを伝えるか。そのためのストーリー活用論は、商品や会社だけでなく、個人の価値を高めることにも繋がる。その具体的な方法を、『ストーリーで伝えるブランド』の著者デービッド・アーカー氏に聞いた。(聞き手・構成/DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー特任編集委員・山崎繭加)
編集部(以下色文字):新著『ストーリーで伝えるブランド:シグネチャーストーリーが人々を惹きつける』は、アーカー先生の長年の研究と、お嬢さまであるスタンフォード大学ビジネススクールのジェニファー・アーカー教授との対話を通じて生まれたもの、と伺っています。
デービッド・アーカー(以下略):娘はスタンフォード大学で「ストーリー」について何年も教えていました。今は人生の意義、幸せ、ユーモアなどについて研究しており、その分野の思想的リーダーです。

カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールの名誉教授(マーケティング戦略論)。ブランド戦略の第1人者であると同時に、マーケティング分野への多大な貢献を称えて全米マーケティング協会ニューヨーク支部殿堂入りをはたしている。『ブランド・エクイティ戦略』(ダイヤモンド社、1994年)、『ブランド優位の戦略』(ダイヤモンド社、1997年)、『ブランド論』(ダイヤモンド社、2014年)、など著書多数。
彼女からの影響で私はストーリーについて興味を持つようになりました。ストーリー、つまり物語を語ることは製品の説明や事実より圧倒的にパワフルで、注意を引く、ということを学んだのです。ストーリーは人の記憶に残り、人のものの見方を変える。人はストーリーに感動し、エネルギーをもらいます。ストーリーは、事実の説明に比べて200~300倍もの力があるのです。
人は、ストーリーには反論しません。説明や事実を伝えると「それを私に売ろうとしているのか」と反発されますが、よいストーリーを伝えることができれば、人はそのストーリーに反発しません。
娘のジェニファーは個人がストーリーを語ることに興味があり、一方、私はブランドや事業を推進させるという意味でのストーリーに興味がありました。それでこの本を書いたのです。
「ストーリーが大切」ということは、いろいろな人が言いますね。
はい、それは常識だよね、と言う人はいます。でも、人は物事を伝えようとする時に、つい商品の事実や機能のことを語ってしまう。その誘惑はとても大きいのです。なので、私はこの本で、そういう時にはストーリーを語りましょう、と伝えたいのです。
なぜ事実を話してしまうかというと、そもそも人はあなたのことに興味がない、ということに気づかないから。人はあなたのブランドも、あなたの企業も、全く気にかけていない。そうした人たちに聞いてもらうには、何か特別なことをやらなければいけないのです。テスラやユニクロのヒートテックはその良い例ですね。
まずストーリーを語り、そのストーリーに共感してもらう。その上で事実を話せば、その事実にも耳を傾けてくれます。
ストーリーが、どのような経緯で、この本で書かれている「シグネチャーストーリー(Signature Story)」となっていったのでしょうか?(注:Signatureは日本語で署名、テーマなどの意味)
とてもフラストレーションがたまる過程でした。この2年間、ずっと娘のジェニファーと話を続けてきました。何がブランドにとってのストーリーなのか。何はストーリーではないのか。
娘と議論を続け、ようやく決まったのが、事実はストーリーでない、ということ。ストーリーとは、何かの説明ではなく、「昔々あるところに...」で始まる、誰かに起こった何かについてのナラティブ(物語)、ということです。
これが明らかになるまで、本を書き出すことはできず、何もできませんでした。まず、何がストーリーでないかを明らかにする中で、ストーリーは事実でも、議論でもないということがわかりました。
「昔々あるところに…」で始まる、これがシグネチャーストーリーを構成する要素の一つです。
シグネチャーストーリーの2つ目の要素は、「ワオ!」と驚かせる要素を含む、ということです。それを読んだ人が泣いて、笑って、他に誰かに伝えたくなってしまう、そういうストーリーでなければいけない。
3つ目の要素は、シグネチャーストーリーは戦略的メッセージを含む、ということ。そのストーリーから、企業やブランドの戦略的メッセージが示唆されなければいけない。
コロラド州の医療機関UC Healthは、素晴らしい組織で、ストーリーのことを深く理解しています。何百ものストーリーがあるのですが、中でも私が心を打たれたのが、重い心臓麻痺で病院に運ばれ、移植ができれば助かると言われたベッキーのストーリーです。彼女が病室で待っている時に、医者がやってきて「心臓がありました」と伝える動画があり、何度見ても泣いてしまいます。
その後、無事に手術を終え元気になったベッキーが、心臓を提供してくれた少女のお母さんに会いに行き、「お嬢さんの心臓は私の中でまた脈打っています」と伝える。
これこそがシグネチャーストーリーです。病院のことも医者のことも何も説明していないのに、UC Healthのことをたくさん伝えている。「私たちは素晴らしい病院です」「よい医者がいます」なんて言っていないのに、ベッキーの動画を見た人は、何かあればUC Healthに行こう、と思うでしょう。
本書の冒頭に6つのストーリーが書かれています。この6つはどうやって選んだのでしょうか。
L.L.ビーンの創業者、NPOのチャリティー・ウォーター、ビールメーカーのモルソン・カナディアン、IBMワトソン、テスラ、コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメントの、6つのストーリーですね。
ストーリーは顧客のストーリーだけでなく、様々なストーリーがありうるという幅の広さを見せたかったのです。ストーリーにはいろいろな種類がありえて、それぞれに異なる働きがある。ストーリーの源はあらゆるところにあり、そのインパクトも異なります。ブランドのビジビリティ(認知度)を上げるものもあれば、物事の見方を変えるストーリーもある。
本の後半で紹介したバークレイズの話は、物事の見方を変えた例です。バークレイズは金融危機の後、最も信頼されない産業で最も信頼されない会社だったのが、2012年から2013年にかけて、いくつかのストーリーを創り、それにより会社に対する人々の見方を完全に変えました。
この他に、先生が好きなストーリーはありますか。
ユニリーバの殺菌石けんのライフブイのストーリーです。インドの3つの村で実施したプログラムによって、ただ石けんを売るだけでは持ち得なかった高次の目標が生まれました。ライフブイを通じて正しい手洗い習慣を広げ子供たちの命を救う、という目的です。
その動画の1つでは、いつも木のそばにいる女性が出てきます。彼女はその木に水をやりとても大切にしています。その村では子どもが生まれた時に木を植える習慣がある。でも、多くの子どもが5歳になる前に病気等で亡くなり、木だけが残る。動画に登場する女性も、5歳になる前に子どもを失った母親なのです。このプログラムの動画はすでに計4,200万回以上視聴されています。石けんの動画なのに。
この本を読んで、企業も行動が変わってきているのでしょうか。
実は、組織がストーリーを語るようになるのは容易ではないと知り、驚きました。まず、ストーリーの力を信じなければいけないのですが、なかなかそうはならない。そして、それを実行に移すのも難しい。インパクトにつながるよいストーリーを作れない。作ったとしても、浅くて記憶に残らないようなストーリーになってしまいます。
たとえいくら多くのストーリーがあっても、それを形にすることは難しいのです。先ほどのUC Healthは、ストーリーの掘り出し方や書き方を知っている人たちを何人か抱えています。ベッキーのようなストーリーは、彼らが多くの時間を使って彼女を理解したからこそ生み出せた。ストーリーには、そうしたスキルを持った人、例えば外部のジャーナリストの協力とか、社内のマーケティング担当の人の力とかを活用する必要があります。
さらに、作ったストーリーをどれだけ多くの人に見てもらうか、というのも難しい点です。