新しい関係が始まるとき、私たちはそれぞれの夢や願いについて、よく話をする。だからこそ、愛の始まりに、私たちはあふれんばかりの力を感じるのである。

 付き合い始めたばかりのカップルはたいてい、イタリアンレストランでの私たちのようだ。パートナーを理解し、自分も理解されていると感じ、パートナーが夢を実現することを願う。互いに現在の相手を見て付き合い始めるわけだが、同時に相手の将来像や、相手と一緒にいる自分の未来を想像してもいる。

 関係が成熟するにつれ、私たちは相手を見失い、いつの間にか醜い権力闘争を繰り広げる。状況と期待の綱引きが始まり、カップルはしばしば、中華料理店での私たちのような力学に陥る。習慣が話し合いに取って代わり、均等だった相互依存が非対称になっていく。どちらかだけしか理解されていないとか、どちらかの夢だけが応援されていると感じる。

 実際に一方だけがパワーを独占しているわけではないとしても、もはやあふれんばかりの力は感じられないし、共有もされない。そうした緊張が続くと、愛は条件的なもの、あるいはちっぽけなものに感じられ、カップルはだんだん恨みや後悔に染まっていく。失敗へまっしぐら、である。

 カップルは、不均衡にも注意を払う必要がある。成り行き任せにしていると、力はたいてい非対称に配分される。

 しかし不均衡それ自体が、すべてをだめにするわけではない。私が研究したカップルには、一方がもう一方よりも力を持っているように見えるのに、成功している人々もいた。だが彼らがうまくいき、罪悪感や恨みを抱かないでいられるのは、腹を割って話し合い、熟慮したうえでそのような生活を選び取ったからだ。

 たとえば、私が研究した多くのカップルは、交互に「キャリアプッシュ」(キャリアの前進に力を注ぐ)していた。カップルの中には、すべての時点において、一方がもう一方よりもはるかに多くのエネルギーを仕事に注ぎ、もう一方は一歩引いて家庭でサポートする役割を担ったカップルもある。

 だが最も成功していたのは、どちらもキャリアの前進にいそしんだりサポートしたりするカップルだった。彼らのキャリアの配分は非対称だったが、力のバランスは非対称ではない。非対称であることは、彼ら自身が協力してつくり出したものだからである。

 とはいえ、カップルの力の非対称は、ほとんどの場合、熟慮と検討のすえに選択した結果ではない。むしろ、まったく逆であり、社会的プレッシャーが当初の平等主義的な約束を徐々にむしばんだ結果である。特に異性愛のカップルには、それが当てはまる。

 社会的規範においても企業政策においても、力は男性と女性に平等には配分されていない。だから平等を維持しようとする努力は、意識的な抵抗の行動を要する。それは純粋に、革命的な行動だ。だからこそ、厳しくもあり、奮い立たせられもする。

 バレンタインデーや記念日など、いろいろな機会にカップルは特別な食事をする(どうか、2人のうちどちらかがレストランを予約していますように)。ロマンチックな夜のデートで、力についての話などしたくないと思うかもしれない。でも、本当はそうであってはいけない。

 特に、ほの暗い照明やパートナーのお気に入りのレシピ、レストランおすすめのテイスティングメニューで、2人の関係の納得しがたい力の非対称をうやむやにしようとしているのなら問題だ。これらは素敵な小道具にはなっても、カップルとしてうまくいく力には、けっしてなりえない。


HBR.org原文:Why Working Couples Need to Talk More About Power, February 14, 2020.


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