大統領選挙にも影響を与えたA/Bテスト

 本誌は基本的に、中長期視点での論考が中心となりますが、今号の特集は、短期的にも効果があります。

 代表的手法であるオンラインのA/Bテストには、2008年に米国のバラク・オバマ氏が1回目の大統領選挙に挑んだ際、自身のウェブサイトをこのテストを使って改善し、即座に寄付金額を増大させたというエピソードがあります。

 この時、ウェブ修正を担当したダン・シロカー氏は後にピート・クーメン氏と共に、テストプラットフォーム企業オプティマイズリーを起業。現在、この分野で高い市場シェアを獲得しています。彼らの著書"A/B TESTING :The Most Powerful Way To Turn Clicks Into Customers"(邦訳『部長、その勘はズレてます!』、新潮社、2014年)では、その時の経緯やA/Bテストの実践法を詳述しています。

 新型コロナウイルス感染症禍のような危機への対処は、今号の特集で主張するように、科学的手法やデータ分析に基づく知見を活用することが肝要です。

 対象規模が大きい社会事象では実験ができない、と言われて来ましたが、昨年ノーベル経済学賞を受賞した研究は「世界の貧困を改善するための実験的アプローチ」。実証データを生かして、社会問題を解決する研究が評価されています。

 しかし、現実を見ると危うさを感じます。例えば米国では、外出規制の解除を求めて失業者がデモする都市が増えています。経済の落ち込みを懸念する保守派からの不満も高まっています。感染者の増加数が若干低減したことを背景に、トランプ米大統領は、経済活動の再開に向けた指針を発表しました。大統領の記者会見の報道やツイッター投稿を見ると、希望的観測が強く、科学的根拠は十分に示されていません。

 経済活動か、感染抑制か。難しい判断が問われる中、多くの識者が注目するのが、FRBのエコノミスト、セルジオ・コレイア氏らの論文、Pandemics Depress the Economy, Public Health Interventions Do Not: Evidence from the 1918 Flu(ウェブで公開しています)です。

 今回の感染症に似た、1918年のスペイン風邪に襲われた米国を分析したものです。当時の主要都市の公的介入策と経済復興の関係を見ると、感染者隔離策などをより早く、より厳しく実施した地域ほど、住民の死亡率は低く、その後の雇用者数の伸びが高かったと実証しています。

 もしかしたら希望的観測通りに経済封鎖を解除しても感染拡大には至らないかもしれませんが、反対に、感染拡大に歯止めが効かなくなる可能性もあります。スペイン風邪では第2波、第3波による死亡者も多いのです。『感染症の世界史』(石弘之著、角川文庫、2018年)では、米国ワシントン大学のマレー・クリストファー教授(病理統計学)らによる近年の研究ではスペイン風邪による全世界の死者数は5100万人~8000万人と推定した、とあります。

 このまま経済活動の抑制を継続すれば、生活困窮者は増加していくでしょう。しかし、この問題には給付策や支援策のさらなる追加により、厳しいながらも対応がまだ可能です。財源は国債発行で賄い、将来の増税によって、償還していくのです。財政赤字額はすでに膨大ですが、米国も日本も、時間をかければ制御可能な範囲です。一方、さらなる感染拡大となれば、医療崩壊など現状では予測できない、不確実性の高い事態になりえます。

 今日までの台湾や韓国の状況を見ると、政策による感染抑制は可能なようです。リスクの性質を考えれば、経済封鎖の解除には慎重になり、感染抑制を優先することが、実証研究や歴史の教訓が示すところだと考えます(編集長・大坪 亮)。