Illustration by Michał Bednarski

新型コロナウイルス感染症で大切な人を失った人もいるだろう。近しい人の死は避けられたとしても、友人や同僚との交流やライフスタイルなど、新型コロナは私たちから多くのものを奪った。そうした喪失(グリーフ)を消化できずにいると、心身の健康を危険にさらすことにもなりかねない。失ったものを取り戻すことはできないが、喪失とともに前進することはできる。本稿では、職場の同僚が悲しみを癒す時間をつくるために、マネジャーがやるべき3つのことを示す。


 父は私の知らない時に逝ってしまうのではないか――。20年前に父が心臓発作を起こした時からずっと、私はそれが心配だった。ベッドのかたわらで父の手を握り、最後の別れを言うこともできないのではないか、と。それが現実になった。

 9月のある朝、父は急に息を引き取った。私は飛行機に飛び乗り、その日の午後には実家にたどり着いた。

 父はまだそこにいた。でも、もういなかった。いわゆる「永遠の眠り」についていたのだ。命が果てていた、と表現したほうが正しいかもしれない。

 家族が見守る中、私は父の体を抱きしめ、生涯にわたり恋しく思うに違いないぬくもりを探した。父のハグは最高だった。でも、私は間に合わなかったのだ。

 それからの1週間は、1つのパターンに沿って毎日が過ぎていった。日中はめまぐるしく忙しい。多くのしきたり、弔問者、さまざまな手配、激しい悲しみに満ちたやり取り。

 一方、夜は静まり返っていた。慌ただしさがおさまると、私は父のデスクに向かい、ノートPCを開き、仕事を片づけた。すると、心が落ち着いた。

 オフィスに戻った時もそうだった。やらなければいけないタスク、締め切り、同僚。それらが一緒になって、深い悲しみに一時休止をくれた。そして、父の存在を感じさせてくれた。

 結局のところ、仕事は父が最も生きいきとして見える場所だった。父を必ず見つけられるのも仕事場だった。

 世の中に喪失(グリーフ)があふれているいま、当時のことをよく思い出す。愛する人の喪失、仕事の喪失、人と人が近づくことの喪失、そしてライフスタイルの喪失。

 2020年はあらゆる場所に、嘆きと悲しみがあふれていた。それは記事に取り上げられ、さまざまな議論のトピックにもなったけれど、年末には特に重く感じられるだろう。

 誰かが先日言っていた。ホリデーの曲を聞くと涙が出る、と。無理もない。今年は、「クリスマスにいてほしいのはあなただけ」という歌詞が、例年とは違う意味を帯びて聞こえるのだから。

 そう、2020年は悲しみがあふれていた。それなのに、誰かと一緒に追悼する場所は、オンライン以外にはない。社交も仕事もバーチャルになり、愛する人を失った時に慰めとなってきた慣習や集まりやルーチンが失われた。

 この複合的な喪失は、心身に危険をおよぼす恐れがあり、管理する必要がある。それは、私たちが慣れ親しんできた管理とは異なるタイプのものだ。