
アメリカ連邦議会議事堂襲撃事件は全米に衝撃を与えた。アメリカの分断を象徴する出来事であり、政府に対する信頼を裏切ったと筆者らは主張する。この凄惨な事件を終わりの始まりではなく転機に変え、国民の信頼を回復するために、政府指導者は何をすべきなのか。なお、本稿は2021年1月20日の大統領就任式前に執筆された。以下の内容は執筆時点の情報に基づいている。
2021年1月6日のアメリカ連邦議会議事堂襲撃事件後、まだぼう然とした気分が抜けないとすれば、それはあなたの信頼が裏切られたからかもしれない。信頼とは、自分の弱みを見せても大丈夫だという思いであり、誰か(あるいは組織やシステム)が自分に対してパワー(権限・権力)を持つことを許すことだ。
信頼は、能力、動機、公正な手段、そしてインパクトの4つの要素からなる。基本的に、筆者らがシステム(この場合は政府)にその働きを許すのは、能力、善良な動機、公正な手段、そしてポジティブなインパクトを信頼しているからだ。1月6日の襲撃は、この4つすべてに亀裂が入ったことを露呈した。もう少し詳しく説明しよう。
●能力
ここでいう能力(コンピタンス)とは任務遂行能力であり、信頼の最も根幹を成す。
抗議行動が実施されることは、明確に示唆されていた。ドナルド・トランプ前大統領は12月19日、「1月6日にDCで大きな抗議デモがある。集まれ。ワイルドになるぞ」とツイートしている。Voxメディアによると、ワシントンD.C.当局は、バスの予約状況を調べて、「スタジアム規模」の群衆が集まると予測した。
にもかかわらず、議会警察はまったく準備ができていなかった。暴徒鎮圧用の装備もしていなかった。昨年(2020年)7月にワシントンで黒人差別抗議運動のブラック・ライブズ・マターのデモがあった時は、軍隊並みの装備をしていたのとは対照的だ。
議事堂の周囲に設置されたフェンスは、暴徒たちを止められなかった。映像を見ると、本館に通じるゲートを開けて、暴徒たちを入れてやったように見える警察官さえいた。メリーランド州知事が応援の州兵を派遣しようとしたが、陸軍長官の許可が出るまでに1時間半かかった。最終的に連邦議会議事堂のセキュリティが回復されるまでに、4時間を要している。これはよく言っても、完全な無能だ。
●動機
動機とは、私たちが行動する理由だ。すべての人が完全に利他的に行動することを期待するのは理不尽だ。しかし、誰かを信頼する時は、その人がグループの最善の利益のために行動してくれると期待するものだ。
大接戦となった選挙の結果に異議を申し立てるのは妥当な行為だ。しかし、62件の訴訟と3件の再集計は、すべて同じ結果を示した。ジョー・バイデンの勝利だ。それなのに連邦議事堂に暴徒が乱入した数時間後に再開された上下院合同会議で、100人以上の共和党下院議員が、アリゾナ州とペンシルバニア州の選挙結果を依然として否定した。
アメリカは信頼の上に成り立っている。国民によるリーダーの選択を信頼すること、そして対立候補が降参して、平和的な権力の移行に参加すると信頼すること。2020年選挙が公正かつ安全に行われた圧倒的な証拠と、過去220年にわたり権力が平和的に移行してきた歴史を踏まえると、州議会で確定した選挙結果を断固拒絶するこの議員たちには、どのような動機があるのか疑念が生じる。
●公正な手段
公正は、賞罰のどちらにも同じルールを適用する一貫性によって示される。アメリカの法執行において、制度的人種差別が根本的な問題として存在することは、長年にわたり明白だった。それは最近の出来事で強烈に示されている。
黒人市民がたばこのバラ売りをしたとか、偽の20ドル札を使用したとか、公園でおもちゃの銃で遊んでいたために警察によって殺される映像を、私たちは繰り返し見てきた。昨年ブラック・ライブズ・マター運動が盛り上がった時は、デモが始まる前から、大規模な警察隊が路上に展開していた。だが、白人が大多数を占める暴徒たちは、難なく連邦議会議事堂になだれこんで行った。
昨年の夏、人種差別抗議運動に参加して逮捕された人は推定1万4000人。6月1日には1日で1289人が逮捕された。これに対して、連邦議会議事堂に乗り込んで逮捕されたのは、本稿執筆時点で数十人にすぎない。法執行機関がルールを公正に適用すると信頼されなければ、アメリカ政府の約束の根幹である「法の下の平等」に疑念が生じる。
●インパクト
あらゆる行動には結果が伴う。連邦議事堂襲撃のインパクトが明らかになるのは、まだこれからだ。次は何が起きるのか。
現職大統領と側近が、積極的に暴力を推奨して正当な選挙の結果を争えば、また議員たちが今後も2020年選挙の結果に異議を申し立てれば、1月20日の新大統領就任式までに何が起こるのか。さらなる暴力が起こるのか。それは未来の選挙にどのような影響をもたらすのか。
平和的な権力の移行が実現すると期待してよいのか。それとも1月6日の出来事は、終わりの始まりを示唆しているのか。私たちの信頼は破壊されてきた。