はみ出し者がそれほど優秀なわけがない
野球のスカウトマンや球団のGMは、長い年月をかけて優秀な選手像のステレオタイプをつくり上げていた。「サブマリン投法のピッチャー」だったチャド・ブラッドフォードのように、能力はあるがステレオタイプとは正反対の選手は過小評価された。彼らの成功は単に運がよかったからだと他球団のGMらは結論づけたのだ。このように誤って運のせいにされていたため、ビーンの統計的アプローチが真実にたどりつくまで、隠れた才能のある選手は発見されずにいた。
また、ビーンのライバル球団は、アスレチックスの類い稀な成功を軽視していた。少ない予算で多くの試合に勝利するというアスレチックスの業績があまりに際立っていたため、大リーグは、この「逸脱」を調べるための委員会を設置したが、その結論は主として「アスレチックスは運がよかった」というものだった。
ステレオタイプの枠にはまらない人の成功を幸運のせいだと見間違えることは、アスレチックスやビーンのような負け組にはありがたいことだった。アスレチックスの成功が単なる運だと見なされれば、ライバル球団はこの際立った成功に不安を覚えたりせず、その戦略を研究する必要性を感じない。
その結果、アスレチックスは球界の強豪チームと競り合い、4シーズン連続でプレーオフまで進んだ。その後、『マネー・ボール』が運に対するバイアスの謎を解き、ベストセラーになったのだ。
エグゼクティブは多様な従業員を評価する時、慎重になるべきだ。プロ野球球団の経営陣が犯した間違いを『マネー・ボール』が正しく指摘したように、他の多くの分野にももっと間違いがあると考えるのが自然だろう。
ステレオタイプにはまる人が過大評価される一方で、そうではない人々、たとえば女性やマイノリティのマネジャーの功績は、ただ運がよかっただけとして誤って片付けられてしまう可能性がある。
秀でた才能か、それとも運がよいのか
素晴らしい成績を上げる人のやり方にならえば自分も成功する確率が上がると、世間で広く考えられている。この考えには、運を巡る数多くのバイアスが潜んでいる。
1986年から2006年にかけて米国で最も広く所有された『エクセレント・カンパニー』という本は、多くのビジネス関連のベストセラー書籍の手本になった。並外れて成功した企業数社を厳選し、「優良企業から超優良企業」に変わった時に共通していたビジネス慣習を分析し、それを超優良企業になることを目指す他の企業向けの経営指針として枠組みにはめたからである。
しかし、このような例外的な成功はふつう長続きしない。高い人気を誇ったベストセラーのビジネス書である『エクセレント・カンパニー』『ビジョナリー・カンパニー』『ビジョナリー・カンパニー2』の3冊で取り上げられた50社を見てみよう。これら50社は本に取り上げられる前に(優良企業から超優良企業へと)大きく飛躍したが、その後は組織全体が衰退したことを筆者の研究が示している。
50社のうち、本の出版から5年以内に16社が苦境に陥り、23社の株価成長率はS&P500種指数を下回って並の企業になった。残りの11社のうち、以前と変わらないレベルの優良性を維持できたのはわずか5社だった。超優良企業になった後で明らかに起きた現象は、超優良であり続けることではなく、大きく衰退して並の企業になるということだ。
このような衰退に関してありがちな説明として、CEOの油断と自信過剰などが挙げられる。しかし、もっとシンプルな説明は、CEOがそもそもそれほど優秀ではなかったというものである。
彼らが成功し、分不相応な注目を浴びることになったのは、運のおかげだった。また、そのうちの多くが失敗して不当な非難を受けたのも(悪)運によるものだった。つまり、それらの企業が行ったことをすべて再現しても、その運までは再現できないため、このような「ロールモデル」にならうことで恩恵を受ける可能性は低い。