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勇気あるリーダーの定義は、かつては肉体的に最も強く、最も攻撃的な人物だとされていた。しかし、これは弱肉強食の時代を生き抜くための理想像であり、現代に求められる勇気あるリーダーの姿とは明らかに異なる。新たなリーダー像を明確にするためには、旧来のリーダー像が時代遅れであるだけでなく、さまざまなリスクをもたらすという事実を認識しなければならない。本稿では、今日の環境に適したあり方を議論するための出発点として、勇気あるリーダーの3つの特徴を挙げる。


 カスケード・エンジニアリングの創業者フレッド・ケラーは、営利目的の企業でも、社会に蔓延する社会的課題の解決に役立てることを証明したいと思っていた。

 そこで、ある従業員の「地域の失業者を雇用する」という提案を採用することにした。バンを借りて、ミシガン州グランドラピッズの低所得者居住区に出向き、そこで出会った8人の男性とともに就労移行支援事業をスタートさせた。

 最初の試みは完全に失敗した。数週間のうちに、雇用した男性たちが一人残らず辞めてしまったのだ。彼らには正規労働に必要な心構えや能力がなく、カスケード側にも受け入れ後の支援体制ができていなかった。

「何がわからないかも、わかっていなかった」と、この試みに携わったマネジャーの一人は振り返る。そのため「愛のムチ」で厳しく指導するという手段を取ったが、うまくいかなかったという。

 このように出鼻を挫かれると、ほとんどのリーダーはその時点でプロジェクトを中止する。なぜなら、貧困の世代的再生産を断ち切り、そこから人々を救済する役割を一企業が果たせるはずはなく、そもそも挑戦を試みるべきではないという通念を裏付けたのも同然だったからだ。

 しかし、ケラーはそのように受け取らなかった。彼にしてみれば、最初の結果はデータにすぎなかった。最初の試みがうまくいかなかったのであれば、次のステップを踏む前に学ぶべきことがある。ケラーはそう考えたのだ。

 2度目の挑戦では、採用予定者に、まず地域のバーガーキングで基本的な職業訓練を受けさせ、責任感を学ばせるという提携の形を取った。しかし、それもまた失敗した。

 カスケードのマネジャーたちは、このような従業員を支援するために何が必要なのか、まだよく理解できていなかった。そのため「フレッドのプログラム」のせいで余計な仕事が増えたことに、いら立ちを覚えていた。また、他の企業のリーダーたちは、このような社会問題に企業が対処できると考えたケラーが、やはり甘かったのだと断じた。

 社内外からそのような批判を受けても、ケラーは粘り強く突き進んだ。彼自身が、また彼に続いてカスケードのマネジメント職の全員が、貧困の世代的再生産に関する集中研修を受けた。

 ケラーは終始、チアリーダーの役割を果たし、自分たちが取り組もうとしていることのパーパスの大きさを理解し、それを受け入れてもらえるようにマネジャーたちを説得し続けた。さらに、彼は既存の枠組みから飛び出し、ミシガン州に働きかけて、ソーシャルワーカーを営利企業に常駐させることを初めて認めさせた。

 そのような具体的なサポートと、トップから社内に浸透した「けっして諦めることなく学び続ける」組織文化が奏功し、プログラムは徐々に形になっていった。

 マネジャーたちは、従業員とソーシャルワーカーが円滑に交流できる新たなプロセスを求めて、試行錯誤を繰り返した。二重規範が存在するという見方を覆し、従業員の退職の脅しにも屈せず、それでもパフォーマンスに支障を来たすほど態度に問題がある一部の従業員は解雇するなどして、困難な時期を乗り越えた。自分たちがやろうとしていることを、そしてフレッド・ケラーを信じていたからこそである。

 ケラーが昔ながらのリーダー像に囚われていたら、このような現象は何一つ起こらなかっただろう。きっと周囲の人間を責めて、諦めてしまい、従業員には従来の経営指標に基づく成功を目指すよう指示を出したに違いない。

 ましてや、最初の試みが失敗に終わったこと、そして問題の解決方法が自分にはわからなかったことを認めて、自分の弱さをさらけ出そうとは思わなかったはずだ。そもそも誰かに助けを求めたり、途中で自分が犯した間違いについて公に謝罪を繰り返したりすることもなかっただろう。

 私たちが「リーダーシップ」「勇敢さ」「勇気」などの言葉に抱いている「タフガイ」というイメージ(残念なことに、いずれも極めて男性的だ)は、現代の仕事がどのように進められているかを考えれば、組織にとって時代遅れであり、最適でもなく、時に極めて危険である。これはまさに、フレッド・ケラーが拒み続けたものだ。にもかかわらず、私たちは残念ながら、いまだに漫画に登場するような、わかりやすいヒーロー像に惹かれがちだ。

 これは、進化生物学者が「進化的ミスマッチ仮説」と呼ぶものの一例だ。進化的ミスマッチ仮説とは、かつては生存に有用だったものが、進化が遅れたことで現代の環境には適合しないという考え方である。

 野生動物の餌食にならず、逆に餌食にできるかどうかに日々の生存がかかっていた時代は、肉体的に最も強く、最も攻撃的なリーダーを勇気あるリーダーだと見なすことに意味があった。しかし、それらの特性は現在のほとんどの状況において、もはや重要ではなくなり始めている。

 筆者が著書Choosing Courage(未訳)でも取り上げているように、新しい勇気あるリーダーシップ像とは何かを改めて考え、それに基づき行動する機会を増やす時期が来ている。以下に、今日の環境に適したリーダーシップ像を形成するための出発点を挙げよう。