
人種差別や性差別のないインクルーシブ(包摂的)な職場をつくろうと、リーダーはさまざまな取り組みを行っている。だが、インクルーシブであろうとして、意図せず不適切な言動を取ってしまうことがある。誰かを傷つけてしまったり、疎外感を感じさせてしまったりした時は、自分の責任を認めたうえで、相手と向き合うことが欠かせない。難しい会話を避けようとせず、失敗をポジティブな学びの機会に変えるために、どのような行動を取るべきか。
筆者はHRリーダーおよびDEI(ダイバーシティ〈多様性〉、エクイティ〈公平性〉、インクルージョン〈包摂〉)の専門家として、言葉の大切さをよく知っている。重要な局面ではとりわけ、言葉が大きな意味を持つ。
常に正しい言葉を用いることの難しさは、筆者もわかっている。万一、自分の言葉が相手を傷つけてしまった場合は、どのように対処するかが重要だ。
米国ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性ジョージ・フロイドが白人警察官に殺害されたのは、筆者がヴァイス・メディアのチーフピープルオフィサー(CPO)として働き始めてから2週間後のことだった。その頃、ヴァイス・メディアの社員の多くは、世界的なパンデミックの影響にも苦しんでいた。筆者はグローバルで働く2000人以上の社員に向けて、着任挨拶のメールを書く時、その一言一句に細心の注意を払った。
このメールでは、わずか数パラグラフの短い文章の中で、多くのことを伝えなくてはならなかった。まず、筆者はどのような人間なのか、簡単に自己紹介する必要がある。そのうえで、自身のリーダーシップ哲学を伝達し、バーチャルの世界で社員とのつながりを構築し、筆者が社員の状況に理解を示していることを表現しなければならない。そして何より、ありきたりの言葉を連ねた平凡な社内メールではないと思ってもらうことが重要だった。
筆者はHR担当エグゼクティブとして、真の意味でインクルーシブ(包摂的)な職場をつくることを、常に自分のミッションとしてきた。そして、会社が単に言葉だけでなく、実際の行動を伴う「アライ」(理解者・支援者)として振る舞うことを保証した。
筆者は、文章の推敲を重ねに重ね、CEOと社内コミュニケーションチームの承認を得たうえで、メールの送信ボタンを押し、不安に押し潰されそうになりながら、社員の反応を待った。このメールは、好意的に受け止めてもらえるのか。内容は明瞭だったか。新たな同僚は、文字だけのメッセージで、筆者が共感力と善意の持ち主だと理解してくれるか。
幸い、その心配は杞憂に終わった。筆者はそれ以来、世界各地で難しい問題が発生すると、社員に向けて何度もメッセージを発信してきた。憂鬱になるような出来事が世界で起きている時、なぜ全社コミュニケーションに労力を割くのか。憎悪を放置すれば、善良な人々が目を背けている間に憎悪が完全な暴力に、あるいはそれ以上の事態に発展しかねないからだ。
しかし、DEIの専門家も間違いを犯す場合がある。筆者自身、インクルーシブなアライとして手本を示そうとしても、常に意図した通りの結果につながるとは限らず、逆に人々を傷つけ、疎外感を与えてしまうこともあった。