これら2つの例の重要な違いは、地政学ではなく、市場参入戦略の選択にある。ベスト・バイは、裕福だが競争の激しい都市部に注力した。2004年に中国に進出したAMDは、価格に敏感な農村部市場の消費者を引きつけるために、より安価な製品の販売を重視した。これにより、市場を支配していたインテルとの競合を避けることができた。
AMD中国のシニアエグゼクティブを務めるパン・シャオミンが指摘するように、地方の2億世帯のうち10%しかPCを購入したいと思わなくても、チップが搭載された2000万台のPCが売れる。AMDは「家電下郷」(家電を農村へ)という中国政府のプログラムにも参加し、農村部での販売をさらに伸ばした。
農村部の市場から中国に参入したAMDは、意識したかどうかはともかく、現在の中国市場でトップランナーとなった企業の多くが成功を収めてきた戦略を真似していた。2015年創業で、いまや中国最大のインタラクティブECプラットフォームになった拼多多(ピンドゥオドゥオ)もそのひとつだ。創業者のコリン・ホアンは当初、あまり裕福でない都市や村にサービスを提供することに注力して、阿里巴巴(アリババ)や京東商城(JDドットコム)などとの競争を避けた。安さにこだわって低所得者層を取り込み、数億人規模の顧客セグメントで支持を得た。このように、ブランドを確立してから都市部に進出し、全国展開を果たしたのだ。現在は、中国国内のアクティブユーザー数でアリババやジンドンをしのぐ勢いだ。
通信機器業界の巨人、華為(ファーウェイ)もはじまりは地方だった。1990年代初めにネットワークスイッチを販売していた創業間もないファーウェイは、既存の多国籍企業のアルカテルやルーセント、ノーテルネットワークスとの厳しい競争にさらされた。創業者のレン・ジェンフェイはこれらの巨大企業を相手に勝ち目はないと見て、彼らを避けるために、低所得で接触しにくいニッチ市場にターゲットを絞った。営業部隊を地方の村に送り込み、農村部の市場を占有した上で、都市部に進出し、ついに中国全土を制したのだ。1993年には中国市場に君臨し、いまや世界最大の通信会社の一つになった。
皮肉なことに、このような成功の裏にある戦略は、中国共産主義の建国の父であり、西洋資本主義の宿敵だった毛沢東に通じる。
1920年代、武装闘争を掲げていた若き毛沢東は、都市部の工場労働者を動員して政治権力を掌握するという従来のマルクス・レーニン主義の革命戦略が、中国では通用しないことに早くから気づいていた。農村経済が圧倒的に大きかった当時の中国は、産業が少なすぎ、工場労働者が少なすぎた。そこで、毛沢東が率いる中国共産党は、ソ連軍の反対を押し切って、まず中国の小作人と農民の党としてブランドを築き、彼らを党の兵士に仕立て上げてから、都市部に進出した。
中国共産党の参入戦略は、歴史が語る通り、悪くなかった。そして、AMDにおいてもその戦略は明らかに有効だった。
"The Chinese Market Is More Than Just Its Urban Centers" HBR.org, October 12, 2022.