「仕事の情熱」と「十分な収入」との間でどうバランスを取るか
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サマリー:コロナ禍を経て、多くの人が「自分にとって仕事とは何か」を再考するようになったことで、「情熱主義」に拍車がかかっている。それは「自分の情熱に従って、意義のある仕事がしたい」というマインドセットであり、雇... もっと見る用の安定や満足できる給料を犠牲にしてでも、自分にとって充実感を得られる仕事を優先しようという考え方だが、そこは経済的なリスクが伴う可能性が高いと、筆者は指摘する。本稿では、それらのリスクを論じたうえで、キャリア形成において情熱と利益の適切なバランスを図るための指針を紹介する。 閉じる

「仕事に何を求めるか」を再考する時

 ポスト工業化社会の労働力の歴史において、いまはユニークな時にある。

 労働者は、半世紀以上前の集団行動と組合結成の全盛期以来、労働条件、すなわち給与、働く場所、仕事のペースをよりコントロールできるようになった。パンデミックによってもたらされた経済的・実存的不安の結果、多くの労働者、特に専門職の人々は、自分が仕事に何を求めるかを再考し、それ以上のものを求めようとしている。

 そして、いまこそ行動すべき時だ。この状況がいつまで続くかはわからず、雇用主が支配する旧来のやり方に逆戻りする可能性を示す兆しもある。企業はすべての労働者がオフィスに戻ることを求め、企業経営者は労働者に対する権限委譲が行き過ぎたと不満を漏らしている。

 いままさに、私たちが仕事に何を求めるのかを再考する、かつてない機会が訪れているのだ。私たちは、給与をもらうことと、働くこととの間に、どのような関係を望んでいるのだろうか。

「情熱主義」とそのリスク

 この疑問に対して、過去3年間で多くの人が共感した答えがある。「自分の情熱に従いたい」「自分が好きなことを仕事にしたい」「意義のある仕事がしたい」「自分らしい仕事がしたい」というものだ。

 この理想を、筆者は「情熱主義」と呼んでいる。著書の中でも説明しているように、情熱主義とは、雇用の安定や満足できる給料を犠牲にしてでも、自分にとって充実感を得られる仕事を優先することを指す。大卒の労働者の70%以上が「よいキャリア」を形成するための意思決定について、情熱に関する事項を高く評価し、ほぼ3分の2が、それらは十分な給料や雇用の安定などの条件よりも重要であると考えていることがわかっている。

 情熱主義は長い間、米国人のキャリアの意思決定の源となり、さらに最近では、多くの労働者が「大退職時代」(グレート・レジグネーション)の流れに乗るように誘惑する言葉にもなっている。

 実際に筆者は、パンデミックによる雇用の不安定さを経験した人々は、雇用が安定していた人々に比べて、情熱の追求に傾倒していることを明らかにした。労働市場で求職者側の自由度が増し、パンデミックに関連した激動によって、これまでに比べて実存的で「人生は短い」というマインドセットに拍車が掛かっている。これらが相まって、多くの労働者にとって「情熱に従う」ということは、かつてなく論理的で実現可能なことのように思える。

 しかし、情熱のおもむくままに行動することには危険があり、経済的にも大きなリスクを伴うおそれがある。

 学校を卒業してすぐに自分の情熱に沿った仕事を見つけるには、時間と経済的安定を犠牲にしなければならないかもしれない。自分の資格やスキルに合っているだけでなく、心の糧となる仕事を探すには数カ月、あるいは数年かかることさえある。また、キャリア半ばで退職し、まったく新しい分野で再出発するとなれば、これまでの成功を支えてきたネットワークや習慣、日常のノウハウを手放すことになるかもしれない。

 さらに、このようなリスクを回避する力は、均等に分配されているわけではない。

 富裕層や上位中流階級の家庭では、社会的な足がかり(例:家族や友人のネットワーク)や経済的なセーフティネット(例:少しばかりの遺産、無給のインターンシップに従事する間は金銭的援助をしてくれる両親)があるため、情熱を傾けられると同時に十分な報酬を得られる仕事に就ける可能性が高まる。労働者階級出身者の場合には、これらのリソースを利用することができず、自分の情熱とかけ離れた不安定な仕事に就く可能性が高い。

 情熱を求めることのもう一つのリスクは、より実存的な問題だ。有給の仕事に自分のアイデンティティをそこまで注ぐのは、労働者がロボットと恋に落ちるのと同じようなことかもしれない。

 仕事は自分にとって意義深いものであり、自分が何者であるか、何者でありたいかということの中核をなすものかもしれない。仕事に体力や精神力を使うだけでなく、感情も注ぎ込み、雇用主から正式に求められている以上の仕事をすることもあるだろう。しかし結局のところ、雇用主との関係は、究極的には経済的なものである。もし組織側が私たちのポジションを代替可能なもの、あるいは採算に合わないものだと判断すれば、どれだけ情熱を注いでも救われることはない。

 キャリアの意思決定において情熱を優先させることで、自分のアイデンティティの核となる部分が、利益の最大化、構造改革、将来的な公衆衛生の機能不全といったことに流されやすくなるという事実を、私たちは心に留めておく必要がある。