
マイクロソフトはどのように組織文化を変えたのか
ハイテク業界では長年、マイクロソフトはウィンドウズで市場を独占したことにあぐらをかいている前世紀の成功企業とみなされてきた。なにしろ同社はもう数十年も、画期的なイノベーションを起こしていない。他社を素早く追従するファストフォロワー戦略を取れるだけの潤沢な資金はあるが、どの市場においてもリーダーになるには大きすぎ、官僚的すぎた。アマゾン・ドットコムのジェフ・ベゾスは東を指差し、社員に「シアトルの隣人のように自己満足に陥ってはいけない」と諭したといわれている。
ところが2023年2月7日「人工知能(AI)が『検索の新時代』を切り開く」と記者団に語ったのはマイクロソフトのCEO、サティア・ナデラだった。マイクロソフトの悪名高かった検索エンジン、ビング(Bing)に、オープンAIのチャットGPT技術を搭載し、リンクだけでなく、直接情報を生成し提供するという。これによってマイクロソフトは、検索のまごうことなき王者であるグーグルに、同じ土俵で同社を上回るイノベーションをもって真っ向から挑んだのである。
これは起こるはずがないと思われていた。
グーグルの問題は、もちろんエンジニアリングではない。同社のAI技術は重要な進歩を遂げている。2023年2月初めにグーグルが実施したデモでの失敗(AIが誤った回答を生成)は痛かったが、同社のLaMDAチャットボットは、世界中に旋風を巻き起こしたチャットGPT3と同じくらい優れているといわれている。そして2月半ばまでには、このチャットボットを使った検索サービスの下準備も整っていた。
IT企業の成功や変革には、技術よりも企業文化が重要なことは以前から知られている。両社が下した経営判断が、ここで違いを生んだようだ。グーグルは業界リーダーとして、ヘイトスピーチや誤報を最小限に抑えるために、慎重な対応を取らざるを得なかったと擁護する人もいれば、マイクロソフトについて、2017年のリンクトイン買収と同時に同社に加わり、以来同社の最高技術責任者を務めるケビン・スコットが、就任1年後にオープンAIと提携し、マイクロソフトの内部技術を強く推進したことを評価する人もいる。
そうした説明もそれなりに価値があるが、深い考察とは言いがたい。そもそも、緩やかに衰退の一途をたどっていた保守的なマイクロソフトが、いかにして飛躍する力を奮い起こしたのだろうか。長年会社勤めをしてきた人には自明であるように、どれほど優秀でも一人の力で組織は変革できない。組織文化が変わらなければ不可能なのである。
マイクロソフトが自社の存在意義を見つめ直した瞬間
最近、筆者のチームは、数年にわたって実施してきた「永続的なイノベーション」に関する研究プロジェクトを完了した。企業が最初の成功を収めた後も革新を続ける源泉は何かを知りたいと考えたのである。この疑問に答えるために、世界の経営者や学者、消費者など計6873人を対象に調査を行い、26社に絞り込んだ企業のデータベースから、アジリティとイノベーションを指標に各社を高、中、低に分類した。そして、経営者および管理職、現場社員、元社員数十人へのインタビューなどを通じ、さまざまな属性におけるパフォーマンスを調査し、データをコード化した。
その結果、永続的なイノベーションの秘密を解き明かしたと思われる企業数社が見つかった。そのなかには、アップル、アマゾン、テスラなど想定内の企業があった。しかし驚きもあった。マイクロソフトが入っていて、グーグルつまりアルファベットは入っていなかったのだ。
1990年代からシリコンバレーで仕事をしてきた筆者にとって、マイクロソフトが入っていたことは、少し意外だった。しかしよく調べてみると、素晴らしいことが同社で起きていたことがわかった。守りから攻めへと企業文化を転換させていたのである。
その取り組みが始まったのは2014年、引退するスティーブ・バルマーCEOの後任として取締役会から指名されたナデラが指揮を執るようになってからである。当時ナデラは、急成長中のクラウドコンピューティング部門の責任者を務めており、彼の昇進によって、鈍重な巨大企業が軌道を変えることはないと思われていた。しかし、かつての業界リーディングカンパニーを率いるナデラと取締役会は、テクノロジーの世界で後塵を拝することにうんざりしていた。ナデラは、いまこそ「マイクロソフトの魂、存在理由を再発見する」時だと宣言した。
単にパーパスを掲げることを意味したのではない。ナデラは、これを自社の存在意義を問い直すターニングポイントとした。「すべてのデスクとすべての家庭にマイクロソフトのソフトを搭載したPCを」という目標を達成して久しい同社には、社内の大勢のコーダーやエンジニアの関心を集め、やる気にさせ、そして収益を維持するための新たな目標が必要だった。そこでナデラは、社員とともに「地球上のすべての個人とすべての組織が、より多くのことを達成できるようにする」会社へと舵を切った。
この方向転換に合わせて、戦略もシフトした。資産を守る姿勢ではなく、攻めに転じ、既存技術への投資を抑えて、新たなチャンスに飛び込むことにした。
最も顕著な変化は、外部との関係である。同社は何十年もの間、パートナーシップを拒んできた。1980年代、DOSなどのソフトウェア・プラットフォームを所有することにこだわったことが、多額の利益とキャッシュカウ(金のなる木)を生んでいた。しかし、新たな存在意義へのコミットメントを示すためには、他社のプラットフォームに対応し、外部との提携に投資するなど、自社の膨大な資産(キャッシュと技術者)と他社の資産を組み合わせる必要があった。
これは大きく2つの形で行われた。第1に、マイクロソフトはLinuxやiOSなどのライバルOSや他社のVRデバイスをサポートし始めた。第2に、スタートアップの起業家的なアジリティを評価した同社は、技術的に優れた小さな会社に対して次々と投資を開始した。ナデラにはまた、ケビン・スコットをはじめ、一連の買収で得た有能な人材を要職に抜擢する大胆さもあった。筆者が1999年にHBRで指摘したように、ハイテク企業を買収して得られる最も高価値なものとは、しばしば人材なのである。